体の細胞に左右を教える仕組みが存在する
私たちの体には頭部と尾部を結ぶ前後軸、背中と腹部を結ぶ上下軸、そして左右を決める左右軸が存在しており、受精卵から分裂して増えていく細胞たちは、これらの軸を意識しつつ、決められた場所に決められた形の内臓を作っていきます。
これまでの研究によって、前後軸と上下軸が決められる仕組みは詳しく研究されてきましたが、左右軸を決める仕組みは解明が大きく遅れていました。
遅れていた最大の原因は、胚のなかで最初に左右差が発生する場所がわからなかったことにあります。
しかし1990年代以降、脊椎動物の胚の底側にあたる部分に存在する「ノード」と呼ばれるくぼみ状の細胞集団の中央部において、時計回りに回転する繊毛が発見され、細胞外の体液が右から左向きに流れていることが判明します。
またこの時計回りする繊毛を排除したり、体液の流れを物理的に止めたり逆流させることで、内臓の左右が逆転したり左右差が存在しない動物がうまれてくることが判明します。
似たようなノードでの体液の流れはさまざまな動物において発見されており、左右非対称性形成に重要な役割を果たしていると考えられています。
繊毛の回転方向は繊毛を構成するタンパク質の形状によって決まるため、根元の細胞自身が左右を認識していなくても、繊毛をはやしさえすれば、左右軸を決める最初のステップを踏み出すことが可能となっています。
またこの最初のステップは「右から左を区別する第一歩」とも言い換えることが可能です。
クラゲやサンゴのような原始的な動物は外観も内臓も放射状になっており、左右の区別が存在せず、ある意味で全身が右であると言えます。
しかし私達人間を含め、動物たちの内蔵の配置は左右非対称です。
複雑な内臓を体内の限られたスペースに収めるため、左右の概念(左右軸)を獲得する必要があったのです。
元から時計方向に回転する性質のある繊毛を利用して、左右軸決定の最初のステップとしたのは実に合理的であると言えるでしょう。
近年になってからは、ノードの周辺部にある動かない一次繊毛が左向きの体液の流れを感知して、根元の細胞に左右軸の情報を与えている可能性が高いとわかってきました。
また根元の細胞に左右軸をおしえるにあたり、カルシウムイオンの細胞内への流入(カルシウム信号)が重要であり、カルシウム信号の合図によって「体の左側だけで働く遺伝子」が活動を開始することも判明しています。
つまり、①ノード中央部の細胞が時計回りする繊毛を生やす➔②体の右側から左側へ向けて体液の流れが発生する➔③ノード周辺部の一次繊毛が体液の流れを感知する➔④体液の流れを検知した細胞にカルシウム信号が発生➔⑤体の左側だけで働く遺伝子の活性化➔⑥左右非対称性の形成、という一連の流れが完成します。
しかし、この一連の流れにはミッシングリンクが存在していました。
というのもこれまでの研究では
「③ノード周辺部の一次繊毛が体液の流れを感知する➔④体液の流れを検知した細胞にカルシウム信号が発生する」
という部分では、状況証拠のみしか報告されておらず、直接的な証拠を得えられていなかったからです。
直接的な証拠を得るには、胚の他の部分に影響を与えぬように注意しながら、ノード周辺部にはえている一次繊毛だけをピンポイントで引っ張る必要があります。
ですが、一次繊毛の長さは1~5μmほどしかないため、ピンポイントで引っ張れるようなピンセットが造れなかったからです。
そこで今回、MGHとハーバード大学の研究者たちは光ピンセットと呼ばれる「光を使って物体を動かす技術」をゼブラフィッシュ胚のノードに対して用いることにしました。