8120年前のトルコ東部に住んでいた農耕民が起源
これまでは、インド・ヨーロッパ語族の起源について主に2つの有力な説が提示されていました。
1つ目は6500年前に黒海北部の草原地帯を起源とする「草原仮説」で、2つ目は9500年前に現在のトルコの東部からイラン北西部を起源とする「農耕仮説」です。
(※草原仮説はクルガン仮説とも言われており、農耕仮説はアナトリア仮説と呼ばれることもあります)
古代人の遺伝子をもとに人々の移動経路を分析した研究ではやや農耕仮説よりの結果が出ており、現在のトルコよりさらに東部、コーカサス山脈の南あたりが起源との結果が出ています。
しかし草原仮説を否定するまでには至らず、最終的な結論は得られていません。
言語の分岐を追跡するのは生物の進化の系統樹を作成するよりも困難です。
DNAの変異を元にした追跡ならば2系統への分岐が起こるまでの時間を予測可能ですが、言語の場合、外来語の流入や戦争による民族の征服や移民などによって「変異」が起こるタイミングが急加速したり、あるいは逆に停滞することもあるからです。
そこで今回、マックス・プランク進化人類学研究所の研究者たちは、数字、水、火、黒、夜、母、父、兄弟といった基本的な概念に絞って、言語の変化を追跡することにしました。
これら基本的な言葉は、DNAで例えるならば脳や手足、目の遺伝子に相当する部分であり、戦争や移民などで他言語との接触があっても、短期的な影響を受けにくく、それゆえ研究者たちは起源を探るような長期的な分析が可能になると考えました。
調査にあたっては80人以上の言語の専門家からなるチームを編成し、109の現代言語と52の古代言語(合計で161言語)に対して「水」などの基本的な言語の分析を行いました。
結果、インド・ヨーロッパ語族の起源は「草原仮説」とも「農耕仮説」とも異なり、8120年前にトルコ東部(コーカサス山脈の南)に住む農民たちが最初の話者であることが判明しました。
また言語ツリーを分析すると、1000年後には既に7つの主流な系統に分岐していることが判明しました。
さらに言語がどのような拡散のしたかを調べたところ、トルコ東部(コーカサス山脈の南部)で発生した後に、ほぼ全方向に向けて拡散していたことが判明。
ただ、7000~6500年前に黒海北部の草原地帯に住む遊牧民に伝わったことが、特に東西両地域への飛躍的な拡散につながっていたことがわかりました。
遊牧民たちは馬による長距離移動を行いながら生活をしているため、農耕民族に比べて言語を拡散させる速度が圧倒的に早かったと考えられます。
現在、インド・ヨーロッパ語族の話者は30億人という膨大な数に登るのも、遊牧民によって話者が広い地域に拡散したことが原因のようです。
研究者たちはこの草原地帯をインド・ヨーロッパ語族の「第2の故郷」と述べており、ヨーロッパへの進出も主に草原地帯からの拡散によって起きてたことがわかりました。
一方、インドへは北回りと南回りの経路が複雑な絡み合いをした後に、カスピ海の北側を通るルートや南の中東地域に沿うような南側ルートを経て、およそ5000年前にインド地域に拡散したと考えられます。
新たな研究は農耕仮説をベースに草原仮説の部分を第2の故郷として取り組んだ形になっており、両方の説をハイブリッドしたものと言えるでしょう。
また新たな研究結果はこれまで行われてきた、DNAを用いた人類の移動経路の分析結果とも一致するものとなっていました。
旧約聖書の記述では、人類がかつてバベルの塔を作ったことで神に罰せられ、言葉が通じなくなったとされています。
しかし実際は、同じ言葉を話していた人々が異なる方向へ進出するにつれて、徐々に言葉が変化し、やがてほとんど通じないレベルに達していたのです。
研究者たちは今回の結果がインド・ヨーロッパ語族の起源問題の最終決定に向けて第一歩となると述べています。
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