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人間が自然に手を出して「しっぺ返し」をくらった歴史的事件5選 (2/2)

2026.01.23 22:00:53 Friday

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サイレントヒルのモデルになった「消えない火災」

米ペンシルベニア州の町セントラリアは19世紀後半から、良質な無煙炭の採掘が盛んな炭鉱の町として栄えていました。

無煙炭は普通の石炭に比べて燃やしたときの煙や臭いが非常に少なく、暖炉の炭として打ってつけです。

しかし1960年代までに人々は石油を使った暖房に切り替えたため、無煙炭は廃れ、セントラリアの炭鉱も閉鎖されることになりました。

そして事件は1962年5月27日に起こります。

消防士が毎年の清掃活動の一環として、セントラリアのゴミ収集場に火を放ったところ、この火が予想以上にゴミの奥深くまで燃え広がり、放置された地下の鉱脈に引火してしまったのです。

坑内火災で煙を吐き出すセントラリアの道路
坑内火災で煙を吐き出すセントラリアの道路 / Credit: ja.wikipedia

火は勢いを増しながら燃え広がり、地面が70〜80℃の熱を帯びて、地下水は水蒸気となって煙や有毒ガスとともに地表に噴出しました。

数日間にわたって消火活動を続けたものの、火が消える気配は一切なく、一酸化炭素や二酸化炭素の濃度が高まったことで、住民は生活するのさえ困難になったといいます。

火はその後も延々と燃え続け、ついに州政府は80年代に消火活動を断念し、住民たちは移住を迫られました。

現在のセントラリアはゴーストタウン化している
現在のセントラリアはゴーストタウン化している / Credit: en.wikipedia

セントラリアはゴーストタウン化し、これが後にゲームや映画になった『サイレントヒル』の町のモデルになったと言われています。

セントラリアの火災は今なお燃え続けており、燃料となっている石炭が枯渇するまでには、あと250年かかる可能性があるという。

四害駆除運動

1950年代の毛沢東(1893〜1976)政権下において、中国は他に類を見ない産業の大変革を遂げました。

毛は彼の主導する大躍進政策(農作物と鉄鋼業の増産政策)の中で「人間は自然を征服しなければならない」というスローガンを大きく打ち出します。

それを受けて1958年に開始されたのが「四害駆除運動」でした。

四害駆除運動とは、毛が掲げた4つの害「ハエ・蚊・ネズミ・スズメ」を国民総出で撲滅しようとする運動です。

1958年当時のポスター
1958年当時のポスター / Credit: ja.wikipedia

スズメを害獣に入れるのは意外ですが、毛はスズメが穀物を食べて収穫量を減らしていると盲信し、スズメを見かけたら即刻始末するよう国民に命じます。

人々は鍋やフライパン、バケツなど音の出るものでスズメを追い回し、木の枝で休む隙も与えず、巣を見つけたら壊して回りました。

加えて、飛んでいるスズメの射殺まで行い、ついに中国全土でスズメの数が激減するに至りました。

しかし目的を達したと安堵している人々の元に、自然のしっぺ返しがやってきます。

スズメがいなくなったせいで、それまで彼らの餌となっていたバッタが大量発生し、農耕地に襲来して作物を食い荒らしたのです。

さらに四害駆除運動は、まちがった森林伐採や殺虫剤の大量散布に生態系のバランスを壊し、最終的に数千万人の餓死者を出す事態となりました。

毛はスズメの撲滅は誤りだったとし、代わりに「トコジラミ」を四害の標的に加えたという。

この運動は1962年まで続けられ、中国からいなくなったスズメを補うために、旧ソ連から25万羽のスズメを輸入しています。

エミュー戦争

人間とエミューが戦争?
人間とエミューが戦争? / Credit: canva

第一次世界大戦が終わり、故郷に帰ったオーストラリアの退役軍人たちは、政府から提供された西オーストラリア州の土地で小麦農業を始めました。

ところが1932年になって、彼らは新たな脅威に直面し、再び銃を手に取ることになります。

繁殖シーズン後の大移動にともない、およそ2万羽に及ぶエミューが農地に到来したのです。

エミューはオーストラリア最大の鳥であり、ダチョウのような外見で飛行能力はないものの、時速50キロものスピードで地上を走ることができます。

そして彼らは小麦畑の豊富な食料と安定した水源に気づくと、そこに住み着いて、農作地を荒らし始めたのです。

エミューによって荒らされ休耕に追い込まれた農地
エミューによって荒らされ休耕に追い込まれた農地 / Credit: ja.wikipedia

その状況を見かねたオーストラリアの防衛大臣は同年11月、兵士を派遣してエミュー軍との戦争を始める決意をしました。

この戦いには従軍経験のある農家たちも参加したといいます。

銃を持っている人間軍の圧勝だろうと思いきや、意外なことに、エミューの群れに対して銃は高い効果を発揮できませんでした。

報告によると、エミュー1羽を仕留めるのに10発以上の弾丸を消費したとされ、明らかにコストや労力の面でマイナスとなっていました。

戦死したエミュー。当時の新聞には「エミュー戦争の死傷者」という見出しが付いた
戦死したエミュー。当時の新聞には「エミュー戦争の死傷者」という見出しが付いた / Credit: ja.wikipedia

またエミューの群れは銃弾にまったく臆する様子もなく、兵士の立ち向かってきたという。

さらに一般大衆からはエミュー戦争に対して「あまりに馬鹿げたものであり、国費の無駄遣いだ」との批判が相次いだそう。

結局、目的は完遂されないまま軍は撤退し、戦争はエミュー軍の勝利に終わったと見られています。

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