私たちが見ているこの世界は、果たして本物なのでしょうか?
想像してみてください。この文章を読んでいる本物のあなたは実は別の場所にいて、今体感しているこの世界は仮想世界だと。
本物のあなたは実験対象として、脳みそを取り出されて水槽の中で活動しています。脳はコンピュータと接続されており、仮想世界における刺激などは全てコンピュータから送られる電気信号で作られているのです。こうしてあなたは今の生活を、人生を送ることができています。
これはシミュレーション仮説と呼ばれる、「人類が生活している世界はすべてシミュレーションで作り上げられた」とする仮説です。もちろん、あくまで仮説なので、本当にこの説が正しいかはわかりません。しかしあなたが見ている世界は、本当に本物と言い切れるのでしょうか。
17世紀に活躍した哲学者のデカルトは、1641年に手がけた著作「省察」の中で、すでにこの問題に取り組んでいました。デカルトは絶対的に確実なものを探すために、身の回りにある全てのことを疑ったのです。
デカルトはある記述の中で、小屋の暖炉の前でパイプを手にして喫煙している自らの状態について、疑いの目を向けています。パイプは本当に手の中にあるのか、履いているスリッパは本当に足元にあるのか考えたのです。
デカルトはこれまで、自らの感覚は信じるに値するものではないと、過去の経験から分かっていました。それゆえに、自らの感覚を通じて得られる情報さえ、信じようとしなかったのです。
このようにしてデカルトは、すべてを疑った先に「私たちを欺く全能の悪魔が存在する」と思うようになりました。私たちはその悪魔によって、絶対的に確実とは言えない目の前の世界を「本物」だと思い込まされているというのです。
このように、デカルトはこの世界を本物だと思わせる悪魔の存在を唱えましたが、他の哲学者は我々の脳が水槽の中で生かされていたり、夢の一部だとする様々な説を唱えています。
このようにして私たちの捉える世界が本物か否かという問題は広く認知されて行き、現代文化へも影響を与えていきます。
1999年には仮想現実空間を舞台にした映画「マトリックス」や、夢の世界でスパイ活動を行う映画「インセプション」など、様々な作品の主題にもなっています。
では、私たちを取り巻く世界が本物でないならば、どうやって本物の世界を暴くことができるのでしょうか。残念ながら、その方法はいまだ見つかっていません。
そしてもし発見されたとしても、ぬか喜びになる可能性があります。もし本物の世界を発見したとしても、発見したという感覚が何者かによってシミュレーションされているのであれば、それは意味をなさないからです。
それでは、そもそも私たち自身は存在していると言えるのでしょうか。デカルトは少なくとも、私たち自身の存在は確実であると述べています。全てを疑ったデカルトは自身の存在についても疑問を投げかけました。そこでデカルトは、自身の存在を疑っている自分自身が存在することを発見し、私たち自身の存在は否定できないと主張しました。
これがかの有名な「我思う、ゆえに我あり」です。
これまで多くの哲学者が考えてきたこの問題。皆さんはこの世界、本物だと思いますか?
関連記事
via: The Conversation / translated & text by ヨッシー