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性病患者の膿を自らのペニスに塗った猛者「解剖医ジョン・ハンター」 (2/3)

2025.01.29 12:00:01 Wednesday

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ハンターの「悪魔」の素顔? 遺体集めで法を犯す

人が亡くなるタイミングは予測できませんし、そう都合よく遺体は手に入りません。

そこでジョンが目をつけたのは死刑囚の遺体でした。

1752年の法律改正に伴い、死刑執行された囚人の遺体を解剖用に請求できるようになると、ジョンを含め多くの外科医たちが絞首台に群がり始めました。

できるかぎり新鮮な状態の遺体が必要だったからです。

今ではあり得ませんが、その際に囚人の親族との間で遺体の取り合いも起こったといいます。

また取り合いのあまりの激しさに、息を吹き返した死刑囚もいました。

これは嘘でもなんでもありません。

当時の処刑はまだ、囚人の足元の板が開き、勢いよく落下させて一気に頸椎(けいつい)を折る方法ではなく、絶命するまでジワジワ首を締め続ける方法がとられていました。

しかも医師による死亡確認がされない場合も多く、「実は意識を失ってるだけ」というケースが多々あったのです。

信じ難い話ですが、解剖医がメスを入れようとした瞬間に囚人が目を覚ますこともあったといいます。

なんという悪夢でしょうか…

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棺から遺体を盗み出す盗掘者の絵/ Credit: commons.wikimedia

さらにジョンは遺体を手に入れるために、死体盗掘者たちと付き合うようになりました。

この頃までにはジョンを筆頭に遺体を高く買う外科医が増えていたため、死体盗掘者の数も非常に多くなっていたのです。

また意外にも墓の盗掘は犯罪行為にはなりませんでした。

法律上、遺体は誰かの所有物ではなく、窃盗罪の対象にならなかったからです。

ただ法律は許しても、民衆たちは遺体集めに奔走する外科医たちの狂気を許容できませんでした。

人々は「自分の体も盗まれるのではないか」と不安に駆られ、解剖医を糾弾する騒動も起きています。

しかし死体盗掘者の行動はどんどんエスカレートしていきました。

新鮮な遺体を手に入れるため、ついに一線を越え始めます。

そう、人を殺したのです。

当時、バークとヘアという死体盗掘者が16人を殺害し、その遺体をロバート・ノックスという外科医に売った事件が一大スキャンダルとなりました。

これを機に「解剖法」が1832年に制定され、救貧院と死体公示所の遺体のうち引き取り手が見つからないものは、すべて解剖医に回されることになります。

ジョンが殺人者たちから遺体を買ったかどうかは定かでありません。

ただ彼は葬儀業者に金をつかませて遺体を手に入れることをしていました。

これは当時の法律でも完全に違法です。

またジョンは標本のコレクターとしても有名であり、人や動物の臓器および骨格を世界中から集め、自室にはなんと1万4000点を超える標本が並んでいたといいます。

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ジョンが欲しがった巨人チャールズ(左)とその骨格標本(右)/ Credit:ja.wikipedia, en.wikipedia

さらにジョンの危うい一面を物語るエピソードをひとつ紹介しましょう。

当時ロンドンには「アイルランドの巨人」と呼ばれていた身長2メートル50センチのチャールズ・バーン(1761〜1783)という人物がいました。

ジョンはチャールズの骨格標本がどうしても欲しかったので、人を雇っていつ死ぬかを24時間体制で見張らせていたのです。

チャールズは自分が見張られていることに気づき、「私が死んでも標本にされないよう、棺桶に錘をつけて海に沈めてくれ」と遺言していました。

彼の遺言通り、チャールズの遺体は棺に収められて海に運ばれたのですが、そこに姿を現したのがジョンでした。

ジョンは葬儀業者に賄賂を渡して、棺の中のチャールズの遺体だけを盗み出し、特大の鍋で煮込んでついに骨格標本を手に入れたのです。

遺体に対するジョンの好奇心はもはや狂気の領域に達していました。

そしてその危険な好奇心はついに自分の体にまで向けられるのです。

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