性病患者の膿を自分のペニスに塗りつける
18世紀の後半、ロンドンではかつてないほど性病が大流行していました。
街のあらゆる場所で売春行為が蔓延っており、衛生状態も悪く、それによって性病にかかる人が続出していたのです。
ジョンが診察した患者の4分の1も性病で占められていたといいます。
当時の主な性病には「淋病」と「梅毒」の2種類がありました。
淋病は排尿痛および尿道口からの膿を引き起こし、最もありふれた性病でしたが、致死的な病気ではありません。
一方で、梅毒は淋病よりずっとタチの悪いものでした。
感染するとペニスに特有のしこりが生じ、リンパ節が腫れて、数カ月後には部分的な脱毛や発熱、瘤のような腫瘍ができたのです。
しかもこれが一生続くことがありました。
この2つの性病はそれぞれ異なる細菌によって発症する別々の病気ですが、18世紀はまだ細菌を見る方法がなかったため、病気は症状によって区別されるだけで、厳密にどう異なる病気であるかはわかっていませんでした。
そんな中、ジョンは最初に淋病の症状を見せた患者が、後から梅毒の症状を見せるという症例に出会います。
そこでジョンはこの性病患者を診察する中で、ある仮説を立てました。
「淋病と梅毒は別々の病気ではなく、単に進行段階が違うだけの同一の疾患であるに違いない」
これを証明するため、ジョンは誰かに淋病を感染させ、正確な進行段階を観察する実験をしようと考えました。
それには淋病にも梅毒にも確実に感染しておらず、24時間体制で診察できる体が必要です。
この条件を満たすのは間違いなく、ジョン自身でした。
そうしてジョンは自らのペニスに傷をつけ、そこに淋病患者から採取した膿を塗り込んだのです。
数週間後、彼の体に異変が現れますが、それは淋病ではなく、梅毒に特有のしこりでした。
彼の予想では自分が見た患者と同様に、まず淋病の症状が現れ、その後期間を置いて梅毒の症状が現れるはずでした。
ジョンは患者が淋病と梅毒の両方に感染している可能性を見落としていたのです。
こうして彼は淋病と梅毒が異なる病気であることを確認しました。
しかしそのせいで彼自身は性行為もしていないのに、自らを梅毒に感染してしまい、その症状は彼を一生涯にわたって苦しめ続けたといいます。
英雄か、悪魔か
このようにジョンには奇怪で危うい一面がありましたが、ロンドンで最も腕の立つ外科医であることは確かでした。
彼は瀉血や水銀治療など、従来の間違った治療法を否定し、外科医としても安易に手術を行うことに慎重で、症例によっては自然治癒に任せる方法もとりました。
そのおかげで無理な切断手術をせずに、命が救われた患者もたくさんいたのです。
彼の名声に惹かれて、経済学者のアダム・スミスやベンジャミン・フランクリン、イギリス国王ジョージ三世などがジョンに往診を依頼したといいます。
また彼は患者を使って数多の解剖や実験を行いましたが、決してモルモット扱いしたわけではありませんでした。
ジョンは生前に「もし自分が患者と同じ病気になったら、私は自分の体でも同じ実験をしただろうし、自分の体に対して行っただろうと思われる以上のことを他人の体で実験したことはない」と話しています。
実際彼は、他人を実験台にしても良さそうな病状の進行段階を見る実験で、自分自身を実験台にしています。
当時は遺体を切り刻む行為を狂気の沙汰と感じる人も多かったのでしょう。そのため、彼には名医と狂人のような異なる印象の記録が数多く残ってしまったのかもしれません。
ちなみに遺体を運び込むための搬入口を持っていた彼の邸宅は、「ジキル博士とハイド氏」の屋敷のモデルになったと言われています。
彼は違法な手段で無数の遺体を集めるという裏の顔を持っていましたが、その解剖研究のおかげで外科医術は大いに発展し、彼が残した知識と技術により何千、何万人もの命が救われることになるのです。
さて、皆さんはジョンのことを「英雄」だと思いますか、それとも「悪魔」だと思いますか?
解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯、て本もありますね。