なぜ知的謙遜は「共感力」や「回復力」を高めるのか?
これについては「自分の限界を認めることで他者の視点に開かれる」ことが大きな要因として推測されています。
知的謙遜とは、自分の意見や信念が間違っているかもしれないと認める姿勢のことでした。
この態度により、自分とは異なる立場や感情を持つ人の話に対して「批難」や「反論」ではなく、「理解」や「協調」の姿勢で向き合うことができるのです。
加えて、知的謙遜レベルの高い人は、感情的に強い刺激や対立する意見に直面しても、過度に自分の正しさばかりに固執しない傾向があります。
これにより、相手への批難を含む自己防衛的な感情反応(怒り、不安、羞恥など)が起こりにくくなり、ネガティブな感情で自らを苦しめることが抑制されます。
結果として、感情ストレスに長くとらわれることが少なくなり、ネガティブな心理状態からの「回復」も早くなると考えられるのです。

今回の調査のように、ユダヤ系とパレスチナ系という大きな枠組みでなくとも、意見の対立や不和は日常的に起こります。
例えば、会社内や家庭内、あるいはSNS上の見知らぬ相手とも、意見や信念の違いから仲違いしたり、イラ立つことが多々あるでしょう。
そのように心が荒ぶったときは「自分の考えは絶対ではない。人それぞれ辿ってきた道があるのだから、相手の意見も一つの答えとして尊重しよう」と唱えて、心を鎮めるといいかもしれません。



































こういう考えはとても大事ですね
人の意見がそこいら中に溢れている現代においてより重要さを増しているように思います。
他者の意見に流され過ぎないのも大切だとは思う
知的謙遜のある人間なんてほとんどいないなぁ
どうやって鍛えるんでしょうかね。
割とくらってしまうので鍛えたいですね😓
できてるかわかんないけどこれやるとアニメ見ててめっちゃ面白く感じるよ!!!
ガンダムサイコー!!
知的謙遜って、自分が間違っているかもしれないというよりは、自分の考えや知識だけが絶対の正解じゃないと認めて、いろんな人の話を自分のことのように深く聞いていくことだと思うのだよな
「自分が間違っている」だと自己否定に繋がっちゃう気がするので、「自分の場合はこうだけど……」と線引きした上で、相手の価値観と立場になりきって話を聞いていくと自分を傷付けずに相手を深く理解できるような気がするよ
私にとっては示唆に富む内容だった
あまりストレスを感じずに生きてきたが、ある時を境にどうしようもないストレスから逃れられなくなった
それは、上司がメチャクチャな人に当たったとき
大抵の相手に対して「そういう考え方も一理あるかも。自分の考えが間違っている可能性もある」と自分で思えるのがほとんどだったが、その上司は誰から見ても明確に「間違っていて」「自分本位」であるにもかかわらず、権力を持っているため全てを力で無理強いし、執拗に相手の人格を否定することで言うことをきかせようとする
それ以降、私は強いストレスにさらされ続けて鬱病になってしまった
あの上司のせいで私は今も鬱病とトラウマの治療をしている訳だが、そのカウンセリングの中で徐々に「あれは洗脳だったんだな」と気づくことができ、理解しようとしてはいけない相手もいることを学んだ
理解しようとしてはいけない人、
いますねそういう人。
違う意見の人は必ず居るけど、自分の考え方が絶対だと信じ込んでいる人は理解しようとしてはいけない、ソレは正に洗脳されに行っているようなものなんですね。
知的謙遜してると別のストレスは大きくなるんじゃないか?
その辺研究して欲しい
自分の知性を疑う人ほど、感情的なストレスからの回復力が高まる
自分の治世を疑う余地がない人は、感情的ストレスからほぼ復帰できない
こう言いかえると、まあ、そうともいえるか?だし
何をどう言ってるか、間違えではないんだけどねっていう
だからなに?っていう