ChatGPTに課題を任せる学生、は「成績」と「学習に対する意欲・自信」が低い
まず最も明確に表れたのは、誠実性の高い学生ほど、ChatGPTを学業であまり使わない傾向があるという点です。
真面目で努力を重視する学生は、たとえ便利でも「自分の力でやりたい」と考えるようです。

一方で、AIを多用していた学生には、学習に対する自信(自己効力感)が低く、何をしても無駄だと感じる「学習性無力感」が強いという心理的傾向が見られました。
これらはいずれも、学習へのモチベーションを損なう強力な要因です。
また、生成AIを使っている学生は、平均的に成績(CGPA)が低い傾向にありました。
ただし、これは「AIを使ったから成績が下がった」という因果関係を直接示すものではなく、AIへの依存が“思考の放棄”につながり、結果として学びの質が下がっている可能性を示唆しています。
この心理的な変化は、まるで「魔法のレンジ」を使って料理の全工程を省略しているようなものです。
自分で包丁を握らず、火加減も調整せず、完成品だけを口にしていては、本当の“料理の腕”は育ちません。
そんな魔法のアイテムがあれば、自分で料理を作ろうという気持ちも起こらないでしょう。
そして、いつまで経っても「自分は料理できないから……」と消極的なままです。

同様に、ChatGPTが出す答えをそのまま受け取るだけでは、自分の頭で考え、理解するプロセスが育ちません。
学習に対する意欲や自信が失われるのも当然です。
さらに見逃せないのが、「評価の不公平さを感じている学生ほど、ChatGPTに頼る傾向がある」という点です。
「頑張っても正当に評価されない」と感じている学生は、AIに解決策を求めやすくなっている可能性があるのです。
ここには、単なる“学生の怠慢”ではなく、教育制度への不信感が背後にあるとも考えられます。
また今回の研究では、開放性の性格特性がAI使用と有意な関連を示しませんでした。
このことは、開放性の高い学生は新しい技術を受け入れやすい一方で、「独自性」や「自分で考えること」を大切にするため、AIに頼りきらない可能性を示しています。
もちろん、今回の研究には限界もあります。
たとえば、実際の課題でAIが使われたかどうかを直接観察したわけではなく、自己申告ベースであるという点。
また、対象がパキスタンという特定地域の学生に限られており、文化や教育制度の違いが他国と一致するとは限りません。
それでも本研究は、ChatGPTのような生成AIが、“学ぶ”という営みにどのような歪みをもたらすのかを明らかにした、意義ある試みといえるでしょう。
これからの教育は、AIを完全に排除するのではなく、どう使えば思考力や創造性を伸ばせるのかという“付き合い方”の設計が求められます。
ChatGPTは確かに便利ですが、学びの主役はあくまで“自分の頭”。
そのことを忘れなければ、AIと共に成長する未来も決して不可能ではありません。