がん細胞の出す物質が脳をアルツハイマー病から守っていた

がん細胞はアルツハイマー病から脳を守るような物質を放出しているのか?
だとしたらそれはどんな物質なのか?
答えを得るため研究者たちはまず、アルツハイマー病の特徴を再現した「モデルマウス」を用意し、そのマウスの体に、肺がん、前立腺がん、大腸がんという三種類の腫瘍をがん細胞を注射して1カ月ほど待ってアミロイドβの状態を調べました。
すると、ふつうならたくさん見えるはずのアミロイドβのプラークが、脳のあちこちで明らかに減っていることがわかりました。
どの種類のがんでも同じように、プラークの量も大きさも少なくなっていたのです。
記憶テストをしてみると、水の中に隠された足場の場所をおぼえる課題や、迷路で新しい通路を見つける課題でも、がんを持つマウスの方が成績がよくなっていました。
がん患者がアルツハイマー病になりにくいという人間での結果とつながるような現象が、種を超えてマウスでも見つかったのです。
次に研究者たちは、がん細胞を培養皿の中で育て、その細胞からにじみ出してきたタンパク質だけを集めた「がんスープ」をつくり、それをアルツハイマー病のモデルマウスに毎日注射してみました。
するとマウスの体内には腫瘍はできないのに、やはり脳のアミロイドβのプラークが減り、記憶テストの成績も良くなったのです。
この結果はマウスの脳を救っていたのは「がん細胞そのもの」ではなく「がん細胞が出す何らかのタンパク質」であることを示します。
では、その「犯人」はどのタンパク質なのか。
研究チームは、三種類のがん細胞に共通して多く作られているタンパク質に注目し、さらに「血液の中に分泌されていて」「アルツハイマー病と関係しそうなもの」という条件でしぼり込みました。
すると捜査線上に「シスタチンC」というタンパク質が浮かびました。
そこで研究者たちは「がんスープ」の元になるがん細胞でシスタチンCだけを作れないようにしてからスープを作り、それをマウスに試したところ、アミロイドβのプラークが減らなくなってしまったことがわかりました。
つまり「アルツハイマー病の脳を守っている主役候補は、シスタチンCだった」わけです。
次の疑問は、「そのシスタチンCが、本当に脳の中まで届いているのか」です。
脳と血液のあいだには「血液脳関門」というバリアがあり、多くのタンパク質はここを通り抜けられません。
そこで研究チームは、シスタチンCにある種の目印をつけ、どれくらい脳にしみ込んでいくかを測定しました。
その結果、シスタチンCは糖鎖(約10キロダルトン)と同じくらいの勢いで脳内に入りこむことがわかりました。
さらに脳の切片を染めて調べると、シスタチンCがアミロイドβのプラークにべったりと貼りついている様子も確認されました。
では、シスタチンCは脳の中で何をしているのでしょうか?
ここで登場するのが、前の章で説明したミクログリアと、そのスイッチ役であるTREM2です。
詳しい実験の結果、シスタチンCは「アミロイドβの毒性の強い小さなかたまり」にくっつき、「TREM2」を働かせるスイッチを入れることがわかりました。
イメージとしては、ゴミのかたまりと掃除係の手をつなげる「橋」のような役割です。
この橋渡しによって、ミクログリアはプラークの場所を見つけやすくなり、実際にプラークのまわりへ集まってきて、内部に取り込み、分解を始めます。
顕微鏡で見ると、シスタチンCを投与したマウスでは、ミクログリアの細胞の体が大きくふくらみ「仕事モード」の形になっていることも確かめられました。
簡単にまとめると「がん細胞 → シスタチンC → TREM2 → ミクログリア → プラーク分解」という流れになるわけです。
























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