「水素がいつ粒子になり、いつ波になるのか」鍵は結晶だった

そこで今回、研究チームはまず、約マイナス238度(35ケルビン)という極寒の中で、極薄のバナジウム膜を用意し、そこへ水素を撃ち込みました。
温度が高いと、水素は熱エネルギーを借りて、壁を勢いよく乗り越えてしまいます。
これは粒子としての、いわば力ずくの移動です。
ところが、キンキンに冷やして熱の力を大幅に弱めれば、この力ずくの乗り越えは、ほとんど起こらなくなります。
にもかかわらず、水素が速く動くなら、熱による乗り越えだけでは説明がつきません。
そこで、波として壁を「すり抜ける」量子トンネルが、有力な候補として浮かび上がります。
極寒は、水素の隠れた「波の顔」をあぶり出すための、巧妙な舞台装置だったのです。
この状態で研究者たちは、水素がどれくらいの速さで広がるかを実験で調べました。
すると、水素が多い領域と少ない領域とで、動き方が大きく異なることが見えてきました。
まず、水素がまばらにしか存在しない領域では、水素はあっという間に膜全体へ広がりました。
計算によれば、1秒の間に、およそ33マイクロメートルの範囲まで広がれるほどの速さでした。
これは膜の厚さ40ナノメートルの約800倍であり、隣り合う席と席の間隔に換算すると、およそ30万個分にも相当します。
極寒の中でこれほど広がれたのは、トンネル効果が働いていたからです。
一方、水素がぎっしり詰まった状態では、水素はトンネル効果による動きをほとんど見せませんでした。
では、まばらな状態と混雑した状態とでは、いったい何が変わっていたのでしょうか?
答えは、結晶の「形」でした。
水素がまばらなとき、バナジウムの結晶は、きれいに整った立方体の形を保っています。
角がそろった、几帳面に片付いた部屋のようなものです。
このとき、水素にとっての席は、隣もそのまた隣も「瓜二つ」です。
実はトンネル効果は、トンネルの入り口と出口の状態が似ていると、起こりやすくなることが知られています。
普通、私たちは「動くもの」と「その行き先」を、別々のものとして考えます。
ボールがどこへ飛ぶかはボールの投げ方次第であり、壁の向こうの床がどうなっていても、飛んでいくボールには関係ないと思うでしょう。
ところが量子的な波の状態にある水素にとっては、今いる席の状態と移動先の席の状態とが、分かちがたく結びついています。
行き先の席が今いる席と同じ状態にあれば、水素の波は行き先でも同じ状態になりやすく、響き合うようにして向こうへにじみ出やすくなるからです。
波の言葉で言い換えれば、水素の波は席と席の間で「つながって」初めて、向こうへ流れ込めると言えるでしょう。
そのため、2つの席の状態がそろっているほど、そのつながりも生じやすくなります。
ところが、水素をぎっしり詰め込むと、結晶内部に多数の水素が入り込んで、結晶の形が変わってしまいます。
結晶というと、水晶のように動かない固体を思い浮かべるかもしれません。
しかし金属の結晶格子は、原子がバネでつながった柔らかい骨組みのようなものであり、隙間に何かが入れば、たとえ水素のように小さなものでも、その形を変えます。
その結果、きれいな立方体が、一方向に伸びた箱形へとゆがみます。
すると、先ほどまで瓜二つだった席が、ちぐはぐな状態になってしまいます。
こうして、席と席をつなぐ波がつくられにくくなり、トンネルも起こりにくくなるのです。
こうなると、熱の力で壁を乗り越えることも、もはや容易ではありません。
その結果、ゆがんだ結晶では、波としての近道であるトンネルが強く抑え込まれ、熱を使った移動も、低温ではひどくのろのろとしか進まなくなったのです。






























