熱は「じわっと丸く広がる」はずだった

熱いコーヒーカップをテーブルに置くと、カップの周りのテーブルがだんだん温かくなってきます。
このとき熱は、カップを中心にどの方向へもまんべんなく、じわじわと染み出すように広がっていきます。
フライパンでも、カイロでも、スマホの発熱でも同じです。
熱があらゆる方向へ均等に拡散していくことは、私たちが日常で何度も体感している「熱の常識」であり、実際に教科書へ載っている熱伝導の基本法則でもあります。
では、固体の中で熱を運んでいる「運び屋」の正体は何なのでしょうか。
それは原子の振動です。
物質の中では原子たちが隣とバネでつながれたように結びついており、片方が揺れると振動が次々と隣へ伝わっていきます。
この振動の伝わりこそが、半導体をはじめとした多くの固体での熱の移動であり、物理学では振動をひとかたまりの粒のように扱って「熱の運び屋(フォノン)」と呼んでいます。
普段の温度では、この運び屋は物質の中にぎゅうぎゅうにひしめいていて、無数の粒が玉突きするように互いに衝突しては進む向きを変えることを繰り返しています。
そうしてあらゆる方向へ弾き飛ばされ続けるからこそ、熱は結果として全方向へ均等に広がるわけです。
ところがこの運び屋は、実は粒でありながら「波」の性質も併せ持つ、量子の世界の住人です。
波としての性質が発揮されると、光がレンズで進む向きを変えられるように、熱も決まった方向へ集中して伝わっていくと考えられてきました。
たとえば結晶のように原子が規則正しく並んでいる構造では、振動が伝わりやすい向きと伝わりにくい向きが生まれます。
粒として振る舞う熱の運び屋たちは、そんな結晶内部でもひっきりなしの衝突を起こし、この差をかき消しながら進んでしまいます。
量子の世界では「観測すると波の性質が失われる」ことが知られていますが、衝突もまた相手にちょっかいを出す、いわば観測のような役割を果たし、運び屋から波の顔を奪ってしまうのです。
ですがもし衝突を大幅に減らせれば、結晶がもともと備えていた「進みやすい方向」がそのまま熱の道筋になり、観測されない運び屋は波のまま突き進めるはずです。
この波として伝わる熱こそが「熱の集束(フォノン集束)」と呼ばれる現象——いわば量子の熱波です。
これまで、この熱を波として運ぶ現象は、絶対零度からわずか数度上(およそマイナス270℃)という極限まで冷やした結晶の中でしか確認されていませんでした。
ここまで冷やすと運び屋の数自体が激減し、衝突がほとんど起きなくなるため、波の顔が表に出てきます。
逆に言えば、温度を上げるほど衝突が激増して波はかき消され、熱はいつもの拡散に戻ってしまいます。
そのため半世紀にわたり、量子の熱波は極低温でしか存在できない、実用とは無縁の珍現象と見なされてきました。
ところがその半世紀のあいだに、現実の世界では熱がまったく別の重みを持つようになっていました。
AIチップをはじめとする電子機器の発熱は年々深刻さを増し、いまや性能の限界を決める最大の壁になりつつあります。
現在の冷却は「広がってしまった熱を後から回収する」やり方が基本ですが、もし熱を発生源から狙った場所へ導けたなら、状況は根本から変わります。
そこでUCLAの研究チームは、運び屋どうしの衝突が極端に起きにくい、ある特別な結晶に目をつけました。
室温でも波が生き残れる、唯一無二の舞台候補です。



































