波になった熱は直進する

その結晶とは、ホウ素とヒ素からできた半導体「ヒ化ホウ素」です。
ダイヤモンドに迫るほど熱をよく通す特異な材料で、その桁外れの熱伝導率が実験で確かめられ、世界の注目を集めたのは2018年のこと。
その先陣を切ったチームのひとつが、今回の研究を率いるヨンジエ・フー教授の研究室でした。
熱をよく通すということは、それだけ運び屋が衝突せずに長く走れるということでもあります。
つまりこの結晶の内部は、運び屋が誰からも「観測」されずに済む、波にとって理想の通り道になっている可能性があったのです。
そこでチームは、結晶の表面のごく小さな一点だけを加熱し、そこから熱がどう広がったかを「写真」のように写し出せる特別な撮影技術を新たに開発しました。
熱の足あとをナノメートル単位でとらえる、この研究のために生み出された特注のカメラです。
このカメラでふつうの材料を撮ると、熱は加熱した点を中心に、ただ丸く広がっていくだけです。
ところがヒ化ホウ素にレンズを向けたとき、まったく異なる光景が写り込みました。
加熱した一点から、6本の細い光線がまっすぐ伸びる「星形」の温度パターンが浮かび上がったのです。
熱は丸く広がるのではなく、結晶が定めた6つの方向へ強く集中し、波のまま直進していました。
極低温の専売特許だったはずの量子の熱波が、約27℃の室温で確かに起きていた瞬間です。
驚きはそれだけではありませんでした。
結晶を切り出す向きを変えて撮影すると、星の腕の本数が6本から8本、さらに4本へと、面ごとにきれいに切り替わったのです。
原因は原子の並び方にありました。
たとえば6本の星が現れた面では、原子たちが三角形を敷き詰めたような模様で並んでおり、その模様が生む6つの「進みやすい方向」が、そのまま熱の通り道になっていたのです。
つまり熱の道筋はデタラメではなく原子の並びが決めており、現れたパターンは理論計算の予測ともぴたりと一致しました。
結晶をどの面で切り出すかという設計図を選ぶだけで、熱の進みやすい方向をあらかじめプログラムできる——そう言い換えることもできます。
波が生き残れた距離は、室温でおよそ250ナノメートル。
目に見えないほど小さなスケールですが、ひしめく運び屋たちの衝突をかいくぐって波が進める距離としては破格です。
しかも現代の半導体チップの部品はまさにこのサイズ感で作られており、計算上はさらに長く、マイクロメートル級まで波が持続しうることも示されました。
チップの中で熱を操るには十分な射程といえます。
過熱に悩まされ続けるAIハードウェアや、わずかな熱で計算が乱れてしまう量子コンピュータにとって、熱を拡散させる前に導いてしまう技術は、冷却の考え方そのものを塗り替える可能性があります。
研究チームはこの成果を、熱を波として操る新分野「量子熱工学」の出発点になると位置づけています。
極低温の実験室に半世紀閉じ込められていた量子の熱波は、いま私たちの温度の世界へと歩み出したのです。



































