承認欲求というものは存在しない
承認欲求というものは存在しない / Credit:clip studio . 川勝康弘
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承認欲求というのは存在しない

2025.01.07 07:00:59 Tuesday

SNSで「いいね!」を集めるのは、ただの自己顕示なのか?

それとも「承認欲求が強い」からでしょうか?

現代の私たちは、日常的に「承認欲求」という言葉を耳にします。

SNS上で自分の投稿に反応がほしい、フォロワーを増やしたい、誰かに認められたい――そんな思いは、ごく当たり前の感情に思えます。

ところが、この「承認欲求」という概念が本当に存在するのかと問われると、意外にも答えは複雑です。

実は、承認欲求という言葉が盛んに使われるようになったのはごく最近のことであり、その背後には人類史の闇とも言える「血塗られた歴史」が深く関係しているのです。

今回のコラムは、あえて「承認欲求は存在しない」というタイトルから、人類の狩猟採取時代にまでさかのぼり「仲間殺し」という死因がいかに私たちの脳を変えてきたかを探っていきます。

実は、仲間に殺されるリスクを回避するために、私たちの脳は噂話や他者評価に過剰に敏感になり、それが現代のSNS環境と結びついて“承認欲求”や“異常な攻撃性”として表出しているのです。

なぜ人はSNSで自分のしたことを積極的にアピールし、誹謗中傷に熱中してしまうのか。

なぜSNS上での評価をこんなにも求めてしまうのか――その答えを知れば、あなたの「承認欲求」観が大きく変わるかもしれません。

War Before Civilization: The Myth of the Peaceful Savage https://www.amazon.com/War-Before-Civilization-Peaceful-Savage/dp/0195091124 Did Warfare Among Ancestral Hunter-Gatherers Affect the Evolution of Human Social Behaviors? https://doi.org/10.1126/science.1168112 Demonic Males: Apes and the Origins of Human Violence https://www.amazon.co.jp/-/en/Dale-Peterson/dp/0395877431 The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined https://www.amazon.com/Better-Angels-Our-Nature-Violence/dp/0143122010 Social: Why Our Brains Are Wired to Connect https://www.amazon.com/Social-Why-Brains-Wired-Connect/dp/0307889092

承認欲求は存在しない

承認欲求はSNS普及後に認知されるようになった

承認欲求は存在しない
承認欲求は存在しない / Credit:Canva

あなたは日常のなかで、「承認欲求」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。

SNSに疲れた」「いいね!が欲しい」「もっと自分をわかってほしい」など、私たちの周りには「承認欲求が強い人」という評価が溢れています。

もしかすると、「自分も承認欲求が強いかも……」と心当たりがある人もいるかもしれません。

ところが、この「承認欲求」という言葉が、実はごく最近になって日本や海外でも多用されるようになったものだと聞いたら、驚く方も多いのではないでしょうか。

もちろん「他者から認められたい」という概念自体は、古くから人間の営みのなかに存在します。

例えば、オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラーの「劣等感と優越コンプレックス」や、米国の心理学者マズローが唱えた「尊重(esteem)の欲求」など、学問の世界では何度も研究されてきました。

しかし、これらはもともと一部の専門家だけが使う高度な用語でした。

現代のように、一般人が日常会話やSNSで「承認欲求」というキーワードを当たり前のように使うのは、ここ数年~10年程度の新しい現象なのです。

しかしなぜこんなに急速に「承認欲求」という言葉が流行し、誰もが当たり前のように使う時代がやってきたのでしょうか?

今回のコラムのタイトルは「承認欲求は存在しない」という刺激的なものですが、決して単に「言葉だけ」を否定しようとしているわけではありません。

なぜ現代になって「承認欲求」という言葉がこれほど広まったのか――その背景には、実は人類が歩んできた“血塗られた歴史”が大きく関わっています。

人類の血塗られた歴史

話しを進める前に、私たち人類がたどってきた過去を振り返りたいと思います。

狩猟採取の時代、人類は小規模な集団(多くは数十~数百人)を単位として生活していましたが、近年の考古学や人類学の研究によって、そのような小さな規模の集団であっても、仲間同士での殺人率が非常に高かったことが、明らかになっています。

たとえばKeeley, L. H. (1996)らが発表した研究では、考古学的証拠から「先史時代の社会が決して平和ではなかった」ことを示し、狩猟採取民でも激しい争いや殺人が日常的に行われていた可能性を指摘しています。

またBowles, S. (2009)らが発表した研究ではさらに踏み込み、仲間殺しが人間の社会的行動や人間の進化そのものにも影響を与えた可能性について言及しています。

さらにいくつかの研究では仲間による殺人率は死因の15%にも上った可能性が示されています。

これらの研究が示唆するのは、人間の死亡要因において仲間による殺害が古くから大きいウェイトを占めており、それが進化の道筋にまで影響を与えていた可能性です

では「なぜそんなに人は人を殺していたのでしょうかか?」

主な要因には、縄張り争いや食料・資源の奪い合い、あるいは群れ内での序列・嫉妬などがあったと考えられます。

警察など犯罪者を捕らえる仕組みが存在しない社会では、殺人の動機を抑える足かせは現代社会に比べてずっと軽いものだったのでしょう。

この悲惨な歴史は農耕社会になっても引き継がれました。

普通ならば農耕によって食料が安定し、飢えの恐怖から解放されれば、人々はもう少し穏やかになるのではないか――と考えたくなるかもしれません。

しかし、考古学・人類学の知見は、むしろ農耕時代になって殺人率がさらに上昇した地域が少なくないことを示しています。

豊富な食料を蓄えるようになると、富や土地の所有をめぐる対立が生じ、組織化された暴力が増える方向に働いた可能性が指摘されているのです。

Wrangham, R., & Peterson, D. (1996)らの研究ではチンパンジーと人間社会の比較から、農耕の開始が集団の拡大と資源独占を促し、新たな形の暴力を助長するシナリオを論じています。

またPinker, S. (2011)らの研究でも、近代以降、長期的には暴力が減少しているという大局的見方を示しながらも、先史〜中世の段階では一部地域で非常に高い殺人率が継続していたことを多面的に分析しています。

一部の研究は「条件によっては5人に1人が野生動物でも飢餓でもなく、仲間の手によって殺されていた」とする推定データも示されています。

もちろん地域や時代に差があるものの、人類史がいかに“血塗られた”ものであったかを想像するには十分な数字でしょう。

これらを総合すると、狩猟採取時代に高い殺人率を示した人類は、農耕時代の到来によっても必ずしも「殺し合い」をやめる方向には進まなかったことがわかります。

ここで、生物進化の一般的な原則を振り返ってみましょう。

一般的に生物は、その死因に適応して生き残るために進化します。

もしある生物種の最大の死因が「栄養不足」ならば、彼らは基礎代謝の低下や脂肪蓄積システムの効率化を進化させるかもしれません。

逆に主要な死因が「外敵に襲われること」ならば、分厚い皮膚、強固な骨格、または非常に速く走る脚などを獲得する方向に進化するでしょう。

つまり生物は、自分を多く殺すものから逃れるように形質を変化させ、生存率を高める傾向があるのです。

では、人類の場合はどうだったのでしょうか?

もし私たちの種族(人類)が、飢餓でもなく、猛獣でもなく、「仲間」によって殺されるリスクが高いという現実を突きつけられたら――いったいどんな進化を遂げるでしょうか?

次のページは、この問いかけに対する人類の答えとも言える進化の道筋を追いつつ、承認欲求の謎にも迫っていきたいと思います。

次ページ仲間殺しが人類にもたらした進化

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