承認欲求は「脳の誤作動」であり、SNS上の異常な攻撃性も同じく誤作動
人類の原始的な脳はSNSを想定していない
前のページで述べたように、人類の脳は“ダンバー数”と呼ばれる150~200人程度の小規模集団を前提に最適化されてきました。
そこでは噂話やゴシップを駆使しながら「誰が危険か」「誰を排除するか」を見極め、殺されるリスクを減らすために自分の存在意義を示し、仲間から外されないようにしていたわけです。
ところが現代、私たちの生活圏に登場したSNSは、数千万、あるいは数億人が同時に利用する世界規模の超大規模ネットワークです。
例えば、X(旧Twitter)の国内ユーザー数は6700万人を超えると推計されます。
Instagram、TikTok、YouTubeなども膨大な登録者数を抱え、SNSを通じて瞬時に膨大な人数と繋がることが可能になりました。
問題は、人間の原始的な脳が、SNSに映し出される無数の人々を“自分と同じ群れの仲間”と誤認し脳がある種の混乱状態になってしまうことです。
ダンバー数をはるかに上回るSNS空間を、脳が「膨張した狩猟採集集団」として扱おうとするため、誤作動が起こります。
たとえば「自分は殺される側に回りたくない」という無意識がいい例でしょう。
SNS上で否定的なコメントや攻撃的投稿を目にすると、「次は自分がターゲットになるかもしれない」という漠然とした恐怖が脳にこみ上げます。
その不安を打ち消すため、人々はSNS上に「美味しい食事をした」「素敵な場所に行った」「友達との楽しい時間」など、自分の魅力・価値を示す投稿を行い続けます。
美味しい食事や素敵な場所を紹介したいと思う心理が無いとは言いません。
しかしこれらの投稿の本質は、極言すれば自慢あるいはアピールであり、現在の私たちはこれを承認欲求のために行っていると表現します。
しかしこれまでの話を総合すれば、このような承認欲求は、自らの価値をアピールを通して殺されないために自分を証明する古代的処世術が、SNSという新しい舞台で行われていると解釈できます。
つまり、現代の人類が「承認欲求」と呼んでいる現象は、脳が想定以上に大きな集団(SNS)に接した結果、自分の存在意義を常に示さなければ排除される(=殺される)と無意識下で考えてしまうことに起因します。
言葉を変えれば「承認欲求」は古くから議論されてきた「社会的欲求」の現代版ラベリングに過ぎないのです。
狩猟採集時代には自分が役立ち・優位性・有用性を訴え、仲間内での地位を確保するのにそこまで苦労はしませんでした。
150~200人程度の集団では誰もが顔見知りであり、毎日のように自己アピールをしなくても自分の価値を周知させ、脳を安心させることができます。
しかしSNSの世界には場合によっては数億人もの集団であり、自己アピールを無限に続けなければ、脳は安心することはできません。
もし巨大な災害や戦争などで人類の集団規模がふたたび150~200人ほどにまで縮小すれば、今ほどの「承認欲求ブーム」は起こらないでしょう。
世界全体が狩猟採集時代さながらの小集団に戻れば、一人ひとりの行動は必然的に互いにリアルタイムで共有され、SNSで必死に自己開示する必要がなくなるかもしれません。
炎上は「攻撃する側に回りたい」という本能のせい
SNSにおける炎上や誹謗中傷、集団攻撃などの現象も、同じ構造で説明がつきます。
人類の原始的脳は「殺されるより殺す側に回るほうが安全」という思考回路を優先しがちです。
そのため無意識的にSNSを徘徊して「殺される側となり得そうなターゲット」を探すようになってしまいます。
自分の代わりに生贄になってくれる誰かがいれば、脳は偽りの安心感を得ることができるからです。
「自分はそんな酷い人間ではない」と思うでしょう。
しかし炎上という現象を分析すれば、それが真実味を帯びてきます。
SNSではしばしば炎上と呼ばれる現象が起こると、炎上している人物について全く関心がなかった人でも、異常な攻撃性を示すようになります。
これも脳の奥底には「自分は攻撃する側に回ることで安全を得ている」という原始的な安心感がうまれるからです。
巨大なSNSの中ではいつ自分が攻撃のターゲットとされるかわかず原始的な脳は混乱して不安になります。
炎上は自分の代りに集団から排除される人間を手っ取り早く発見し、自分を安全な殺す側に置いてくれる……と脳は錯覚します。
炎上している相手を攻撃している間だけは、安全を買えると脳が誤解し、ときには報酬物質を脳に分泌してくれます。
もちろん、炎上している人物や団体を叩くとき、SNSユーザーは「正義感」や「倫理観」を理由にするかもしれません。
しかし多くの場合、次に殺されるのは自分かもしれないという無意識かつ本能的な恐怖をかき消すために攻撃する側に回る心理が潜在的に働きます。
これこそが、SNS炎上で“関係ない人”が大量に参戦し、過熱する要因でもあるわけです。
脳の誤作動に振り回されないために
こうしてみると、「承認欲求」も「SNS炎上」も、その根底には人類が仲間殺しの危険を回避するために練り上げた処世術があるように思えます。
たしかに近代以降、法律や社会制度が整い、昔のように簡単に人を殺すことは大幅に減りました。
しかし脳の本能は何十万年という狩猟採集の時代からアップデートされておらず、SNSという新環境で大きく誤作動しているわけです。
SNSを「自分の小集団」と錯覚し、必死に自己アピールし(承認欲求)、同時に他者を攻撃し(殺す側に回る)報酬物質を分泌してしまう――この一連の流れが、私たちが言う「承認欲求」や「SNSの異常な攻撃性」という現象を生み出しているのです。
SNSがもたらす情報革命は、確かに多くの利点と社会的進歩を約束します。
しかし、脳の想定を超えた巨大なネットワークが、承認欲求をさらに増幅し、攻撃性を剝き出しにする可能性をはらんでいることを私たちは自覚する必要があります。
最終的に私たちが目指すのは、脳が本来もつ原始的な防衛反応を理解し、それをうまく飼い慣らす術を身につける――それこそが、現代社会を生きる上で求められる新たな知恵なのかもしれません。
また社会的ポジションと脳の混乱は、人間のSNS上での行動を解釈するためのマスターキーになる可能性があると言えます。
さて次のページでは今回の話を1つのSF風の物語にまとめてみました。
時間があったなら、ぜひ楽しんでください。