承認欲求というものは存在しない
承認欲求というものは存在しない / Credit:clip studio . 川勝康弘
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承認欲求というのは存在しない (2/4)

2025.01.07 07:00:59 Tuesday

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仲間殺しが人類にもたらした進化

仲間殺しが人類にもたらした進化
仲間殺しが人類にもたらした進化 / Credit:Canva

もし「仲間殺し」が主要な死因の1つであれば、私たち人類はどんな進化を遂げるのか?

私たちの体を見てわかるように、人類は分厚い皮膚や素早い脚を手に入れていないのはわかります。

代わりに私たちは「噂話や悪口の共有」という特殊な方法を発達させました。

単なるゴシップ好きが進化の結果とは信じがたいかもしれません。

ところが、霊長類学や進化心理学の研究からは、人間のゴシップ行動がサルの“毛づくろいに相当する“社会的な絆づくりに大きく寄与していたという見解が示されています。

たとえばDunbar, R. (2004)らの研究では、ゴシップは単なる悪口や興味本位の噂ではなく、集団内で誰が信用できるのか、誰が危険人物なのかを素早く把握するための「情報交換システム」だったと論じており、人間の会話のうち大部分(研究によっては67にも及ぶ)が、噂話や評判・他人の話題に費やされる可能性があることを示唆しています。

人間の高度な言語能力は情報交換や概念の形成のために進化してきた高尚なツールだと思われてきましたが、この比率をみれば、決してそのような目的が主眼ではなかったことがわかります。

(※もちろん言語には知的ツールとしての側面もありますが、それ以外の用途のほうに大きく情報量を割いている状態にあります)

では何のために人類はゴシップや悪口にここまで力を注ぐのでしょうか?

研究者たちは、ゴシップを共有することで「あいつは仲間を裏切りそうだ」「あの人は集団に貢献してくれる」といった情報がグループ内を素早く回り、排除すべき相手を決めたり、協力すべき相手を判断したりするメリットがあったと述べています。

これは直接的な武器で戦うよりも、周囲の合意を得ながら安全に相手を追い詰める戦略といえます。

狩猟採集社会では、食料資源や縄張りをめぐって、誰が裏切り者か、誰が敵に通じているかが死活問題でした。

ですがそれを正面きって戦うのはコストがかかりすぎます。

それに警察など存在しない狩猟採取時代と言えども、根回しも何もせず気に入らない相手を感情の赴くまま殺したとあっては、自分が危険人物とみなされてしまいます。

そのためリスクの高い単独犯を避けるために噂を広め賛同を得て、集団で排除するプロセスが進化したと考えられます。

ゴシップを巧みに使い、「あいつは危険人物だ」と周囲に信じ込ませれば、安全に排除を進められます。

簡単に言えば、噂と悪口を使って水面下で動くわけです。

そうすると場合によっては自分が手を下さなくても、噂に踊らされた誰かが代わりに「排除」を実行してくれるかもしれません。

こうした社会的繋がりや排除の手法は、人類の行動進化に大きく寄与しました。

戦闘能力や敏捷性のみならず、いかに賛同者を得るか、情報操作を行うかが生存に不可欠だったのです。

一方、仲間殺しが主要な死因となっている世界では、噂話や悪口の対処を上手くできない個体の遺伝子は排除されていきました。

結果として人類の脳は「仲間に殺されないためには常に噂話や悪口に注意を払う」ように進化することになります。

Lieberman, M. D. (2013)はその著書において、人間の脳が他者との関係や社会的つながりを非常に重視するように作られている事実を数多く示しています。

この著書では、赤ちゃんが言葉を話せない段階から、他者とのコミュニケーションや関係づくりに深く取り組むことに着目し、これは単なる好奇心ではなく、「群れの中で保護され、生存する」ための本能だと述べています。

人間は生まれた直後から仲間殺しから逃れるための「訓練」をはじめていたというわけです。

また著書では脳の大部分が社会的なつながりに敏感に反応すること指摘。

従来は高等な思考を司る領域こそ人間の核心と見なされがちでしたが、実際には社会的認知のためのシステムが思った以上に広範囲を占めているのです。

人間の脳もまた仲間殺しから逃れるため社会的つながりに敏感になるようにプログラムされていたということでしょう。

さらにLiebermanは、社会から排除されることは脳にとって身体的痛みと同様に深刻なストレスになると主張します。

SNSなどで誹謗を受けたり無視されたりしたときに、まるで身体的傷害”のような苦痛を感じるのは、脳が「仲間外れ」を生存の危機と見なしているからです。

「では、人間はお互いの痛みを理解し、優しくなったのか?」といえば、必ずしもそうではありません。

多くの事例で証明されるように、私たちは「排除する側」に回ることで、自分への攻撃を避けようとする傾向も強く示します。いわゆる「いじめられるより、いじめる側に回ったほうが安全」という理屈です。

脳の配線を大規模にリプログラムして仲間殺しをしない聖者の集まりのような種に進化するよりも、殺されない側につく能力を進化させたほうが「安上がりかつ合理的」だったからです。

現代においても仲間外れにされる恐怖から、人間の脳は「むしろ率先して誰かを叩く」「噂で糾弾する」ことに悦びを感じるのは、狩猟採集の時代に、殺人の標的にならないために「どっち側につくか」が生死を左右していた名残とも言えるでしょう。

さらに脳科学的にも興味深い証拠があります。

いくつかの研究では、ゴシップが単なる情報交換で終わらず、脳内の報酬系(ドーパミン回路など)を刺激することが明らかになっている点です。

Feinberg, M., Willer, R., & Schultz, M. (2014)らの研究では、ゴシップ(噂話)と“仲間はずし”が協力行動を高めるメカニズムを実験的に示し、悪い噂を共有することが集団全体の秩序を維持するための進化的手段になり得ると主張しています。

またゴシップや他人の秘密を話すとき、人間の脳は快感をもたらす物質を放出しやすいという報告があります。

仲間殺しの多かった時代において、危険人物を特定する情報を交換することが、脳にとって“ご褒美になっていた可能性があるわけです。

こうした仕組みを考えれば、「なぜ人は悪口や他人の噂に引き寄せられるのか」「他人のスキャンダルを共有するとなぜ楽しく感じてしまうのか」も説明がつきます。

仲間に殺されないために必須の情報をやり取りできれば、脳がプラスの報酬を与えてくれるというわけです。

さらに最新の脳研究では、人間の脳の進化の原動力が他人との関係性を模索するために行われた可能性すら指摘しています。

私たちが“ぼんやりしているとき”に活性化するDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)が、実は他者や自己を思考するときに大きく働くことを示しています。

つまり何もしていないときであっても、人間の脳は自分と他者の関係を無意識に考え続けているのです。

「人間は厳しい自然環境を生き抜くために知能を発達させた」とよく言われますが、実は“仲間から攻撃されないための方策”のほうが知能進化において重要だったのかもしれません。

「人間はパンツを履いたサル」という比喩は有名ですが、いま話してきた観点からこの比喩を更新するとすれば、人間は「噂をするサル」あるいは「仲間を殺しまくるサル」と言っても過言ではないでしょう。

それほどまでに人類の進化を牽引した要素が「仲間殺しからどう逃れるか」に集約されているというのは、一種の恐怖を感じる事実でもあります。

なお余談ですが聖書に出てくる「知恵の実を食べた人間は、すぐに兄弟殺し(カインがアベルを殺害)を行った」という物語も、人類が知恵を得たと同時に仲間を殺すようになる過程を暗示しているようにも見えます。

もしこのエピソードが作者の思い付きの産物ではなく、知恵が芽生えたゆえに、仲間との争いが熾烈化し、殺人が連鎖するという人類進化を暗示していたとするなら……(ありえないことですが)足元が冷える思いをします。

最後に、この仲間殺しへの適応がどれほど具体的に脳を変えたかを示す指標として、ダンバー数に触れておきます。

ダンバー数という概念は、霊長類学者のロビン・ダンバーが提唱したもので、人間が安定した社会関係を維持できる人数の上限がおよそ150~200人程度だという仮説です。

これは、脳のネオコルテックス(新皮質)の大きさが、群れのメンバーを記憶し把握すると同時に、複雑な人間関係を処理する能力と相関しているという考え方に基づいています。

簡単に言えばチンパンジーよりも人類の群れが大きいのは、新皮質がより大きいからとなります。

人類の新皮質は非常に巨大なため、かなり大きな群れをつくることができます。

しかしそれでも限界があります。

人類でも、友人同士の付き合いや、誰が信頼できて誰が危険かといった情報を共有する際、150~200人を超える規模になると、一人ひとりの状況を正確に追いかけるのは脳のキャパシティ的に難しくなってしまうことが知られています。

この数に決まった背景のもう1つには、人類の進化史のほぼ99%を占めるといわれる狩猟採取時代には、実際に集団規模が150~200人を大きく超えることはなかったのではないかという推測があります。

狩猟採取の生活では、あまりに大きな集団を維持するには食料を確保するのも移動するのも不利になるため、一つの群れが150~200人程度に落ち着いたと考えられるのです。

このように考えると、ダンバー数が示す“脳の限界”は、人類が長い歴史の中で培ってきた社会的な認知能力と深く結びついているといえます。

150人以上の友達を持つことができない?「ダンバー数」とは

また、ダンバー自身は150~200人という目安の周囲に、さらに親密度ごとに分かれた複数の階層があると主張しています。

たとえば、親密に連絡を取り合うのは5程度(家族・親友クラス)、少し距離があるが深い関係を継続できるのは15程度、なんとか顔を覚え、時々連絡をとるのは50程度、名前と顔が一致し、ある程度の情報を共有できるのは150程度、その先の500人・1500という段階には「知人」「名前だけ知っている」などの薄い層が続く……といった具合に、脳の処理能力によってレベル別にグループが区切られている、と言われます。

このダンバー数に関してはSNS上の関係も当てはまっており、人間がSNS上で活発な交流を維持できる範囲もまた150~200人に限られていることが報告されています。

もちろん数値の限界値には個人差があります。

しかしどんなにコミュ力に自信がある人でも「親密に連絡を取り合う1万人の親友」や「性格を完全に把握できる10万人の友達」を持つことはできません。

たとえ時間が無限にあったとしても、脳の能力的に不可能なのです。

さて、ここまでは人間の脳が“噂話”や“他者評価”を最優先する仕組みを持つに至った背景を見てきました。

仲間殺しから逃れるため、そして周囲と“噂”を介して連携するため――その進化が脳のデフォルト機能を形作っているのです。

ところが現代、私たちの目の前に出現したSNSは、数百万~数億人レベルの繋がりを一気に実現させてしまいました。

150~200人の群れを前提に設計された私たちの脳が、この“巨大な社会ネットワーク”と出会うと、何が起こるのか?

いよいよ承認欲求の正体が暴かれます。

次ページ承認欲求は「脳の誤作動」であり、SNS上の異常な攻撃性も同じく誤作動

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