■行動の結果よりもその動機こそが、行動の利他性を判断する上での主な基準であることが判明
■他者の役に立つ行動が、まったく他者の役に立たない行動よりも、むしろ利他性が低いとみなされることもある
■私たちは感じ取った相手の行動の動機から、その人の未来の行動を予測するため、動機を重視する
自分では正しいと思った行為が、「偽善だ」と言われてしまったことはありますか?
「純粋な利他主義とは何か?」という疑問について、哲学者たちは長い間議論を続けてきました。
一部の哲学者は、行動する本人に利益をもたらす行動は、それがいかに慈悲深いものであっても、「不純な」利他主義だと論じます。一方で、行動の結果として本人が得をしても、それが意図的でないかぎり、行動の利他性は失われないと考える哲学者もいます。
他者を助け、役に立とうとする向社会的行動は、その内容が同じであっても、その動機や結果によって周囲からの受け止められ方は変わります。ある研究チームがその違いを分析し、利他性の判断においては動機が重要な判断基準になっていることを突き止めました。
論文が「Journal of Experimental Social Psychology」に掲載されました。
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0022103117301701
「利他性」が損なわれるシチュエーションとは?
研究チームは、被験者270名を3つのグループに分け、8つの仮想シナリオの行動について、どの程度利他的だと思うかを評価するよう指示しました。
グループ1にはシナリオの説明だけが与えられたのに対し(「ジェーンは献血する」)、グループ2にはその行動を動機づけた目的に関する情報も与えられました(「ジェーンは友だちを感心させるために献血する」)。また、グループ3には行動がもたらす結果についての情報が与えられました(「ジェーンが献血すると、友だちはそれに感心する」)。
その結果、行動の動機を知らされたグループ2で、利他性の評価が著しく影響を受けることが判明。物質的・社会的利益によって動機づけられた行動は極めて自己中心的だと評価され、「自分の気分を良くするため」といった感情的利益を得るために取られた行動でさえも、そうした利益を伴わない純粋に人のためを思って取られる行動と比べると、著しく利他性に欠けるとみなされることが分かったのです。
このことは、向社会的行動の結果として何らかの報酬を期待する人物が、周囲の信用を得にくいことを示唆しています。特に、物質的な見返りや他者からの関心を求める相手を、私たちは手厳しく評価します。
一方、行動の結果を知らされたグループ3では、そこまでの差異は無かったものの、結果的に物質的・社会的利益がもたらされる行動は、感情的報酬をもたらされる行動よりも、少々利他性に欠けるという評価を受けました。
注目すべきは、純粋に他者を助けるために行われたことがはっきりと伝えられたとしても、行動の動機に関する情報がまったく与えられたなかったとしても、同一の向社会的行動が同程度に利他的だと評価されたことです。このことは、向社会的行動は本来、私利私欲のために取られるものではないという想定を私たちが持っていることを示唆しています。