体罰肯定派の科学と反論――体罰は本当に「百害あって一利なし」なのか?
体罰肯定派の科学と反論――体罰は本当に「百害あって一利なし」なのか? / Credit:Canva
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体罰肯定派の科学と反論――体罰は本当に「百害あって一利なし」なのか?

2026.03.25 18:00:11 Wednesday

近年、日本を含む多くの国で、子どもへの体罰を全面的に禁止する動きが強まっています。学校でも家庭でも、子どもに手を上げることは許されない――そんな空気が社会のスタンダードになりつつあります。

しかし、そうした風潮に対して異を唱える論説が科学誌に掲載され波紋を呼びました。

その論説は、「体罰の全面禁止を支える科学は、そこまで決定的ではない」と主張したのです。

しかもこれは単なる感情的な反発ではありません。

著者たちは、過去に行われた4つの比較実験や関連研究を手がかりに、ふつうの軽い体罰の平均的な影響はほぼゼロに近い可能性があることを示したと論じました。

さらに反抗的な未就学児が穏やかな指示に従わない場合、しつけを支える“補助手段”としての体罰が、その場の問題行動を止めるのに役立つ可能性があることを示唆すると整理しました。

具体的には、子どもが『いまはやめよう』『片づけよう』と指示しても、反発して従わず、その場のやり取りがどんどんこじれていくという場面です。

研究者たちは、そのような必要な場面においては、「最後の手段」として限定的な体罰(たとえば、軽くお尻を叩くこと)は有効になりえるとしています。

もちろん、体罰を擁護する研究は一般には歓迎されません。

「子どもを叩いて良い場合がある」といった主張は、社会的にも心理的にも受け入れがたいものでしょう。

多くの人は、それが虐待や暴力につながる可能性を恐れ、あえて体罰の有効性を考えること自体を避けてしまいます。

ですが、もしかしたら体罰をめぐる科学は、私たちが思っているよりもはるかに複雑で繊細な問題を含んでいるのかもしれません。

そこで今回はこのような問いをもう一度立て直し、体罰をめぐる最新の科学と議論を丁寧に見直していきます。

その上で、体罰の有効性を主張する意見論文の背景にある根拠を掘り下げ、体罰容認派が示した「必要な場面での適切な体罰」がどこまで妥当なのか、またそれに対する反論がどのように展開されているのかを順番に整理していきます。

果たして「体罰は百害あって一利なし」と断言することは本当に正しいのでしょうか?

それとも場面と方法を慎重にわきまえれば、限定的な体罰は「許される」というだけでなく、むしろ「必要」とすら言える場合があるのでしょうか?

体罰肯定派の科学とはどんなものか?

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Credit:Canva

まず公平のために言えば、ここでいう「体罰容認派」あるいは「体罰肯定派」は伝統的な「いわゆる体罰」を支持しているわけではありません。

私たちの思い描く「いわゆる体罰」の中には「テストで悪い点数を取るたびに何回も殴られた」「楽器演奏に失敗するたびに繰り返し平手打ちされた」といったものがありますが、現在はではそれらは「過度・虐待的な体罰」とされています。

成績や出来ばえのような能力差のある問題に繰り返しの痛みを与えるのは、能力と道徳をごっちゃにする非常に危険なものだからです。

体罰容認派も、そういった体罰には明確なNOを突き付けています。

一方で「必要な場面での適切な体罰」は、先に述べたように、言葉の注意を聞かずその場から逃げ出してしまうような子に対して行う補助手段としての体罰です。

つまり、「叩けばしつけになる」と言っているのではなく、「非常に限定された使い方まで一律に禁止すべきかは別問題ではないか」と問い直しているのです。

この「体罰容認派」の中心にあるのが、Gunnoeらが2025年に発表した論文です。

彼らの議論は、まずシンプルな疑問から出発しています。

私たちはよく「体罰の悪影響で子どもの攻撃性が高くなったり、行動が落ち着かなくなったりする」という話を耳にします。

確かに「体罰」と「問題行動」の頻度やレベルには、何らかの関係があるように見えます。

しかし、ここでGunnoeらは、「それは本当に体罰が原因なのか?」という問いを立てました。

もし逆だったらどうでしょうか。

つまり、「もともと手のかかる子だから、親が仕方なく厳しいしつけをしている」という可能性もあるのではないでしょうか。

このように、「体罰が問題を引き起こしている」のではなく、「もともとの問題が体罰を引き起こしている」という逆の因果関係を十分に除けていないのではないか、というのが彼らの指摘です。

その上でGunnoeらは、過去に行われた4つの研究を比較分析しました。

これらの実験は、主に母親が、タイムアウトの椅子から逃げようとする反抗的な未就学児にどう対応するかを比べた研究でした。

子どもたちをまずは、その場で止めようとするわけです。

しかし子どもたちの中には、この指示に従わず勝手に逃げ出してしまう子がいました。

こうなると、やさしい指示ではなかなか効かず、状況は混とんとしてしまうでしょう。

研究では、そうした席を離れてしまった子どもに対して、「軽くお尻を2回叩いて席に戻す」という方法が他の方法と同程度か、条件によっては有効に見えた、という結果が報告されています。

一方で、別の研究では、仕切りなどを使う方法と同程度で、体罰が決定的な要素ではないともされました。

彼らによれば、このような限定的な状況下では、体罰は問題行動をやめさせることが可能であり、子どもの安全や社会的ルールの徹底を守るために役立つ手段だと言える、ということです。

さらにGunnoeらは、「体罰は全面的に有害である」という従来の考え方を裏付けるデータも、実は十分ではないと主張します。

2021年にPritskerらが行った解析では、一般的な体罰には、はっきりした悪化効果はなく、逆に同じ子どもの中での変化に注目すると「道具を使わず、月に1回程度以下という極めて少ない頻度」の場合には、むしろ子どもの行動が改善するという結果が示されています。

つまり、体罰を一括して悪と見なすのは雑で、体罰が問題となるかどうかは、その方法や頻度、状況に強く依存するというわけです。

ここまで聞いても「いや、それでも子どもを叩くなんて絶対ダメだ」と思う人もいるでしょう。

実際2002年、心理学者のGershoffは、「親による体罰は子どもを短期的に従わせる効果があるが、長期的には攻撃的な性格やメンタル面の問題と関連するとする」メタ分析を発表し、大きな話題になりました。

体罰はその場で効いても、後が怖いという結果です。

ところが、同じ2002年に別の研究者(Baumrindら)はこの結論に対して厳しく反論しました。

彼らによると、「体罰をする家庭」と「しない家庭」は、そもそも親の性格や家庭環境、子どもの生まれ持った気質において大きく異なる可能性があります。

例えば、「消防車が多く出入りする家は火事が多い」ですが、それは消防車が火事を引き起こしているわけではありません。

同様に、体罰を使う家庭で子どもに問題が起きているとしても、それが「体罰のせい」だとは断定できない、というわけです。

さらに2005年のLarzelereとKuhnのメタ分析は、26もの研究を集めて分析した結果、「条件付きの体罰」、つまり「普段は言葉や穏やかな方法を中心にしており、それで効かない場合にだけ軽く叩く方法」は、13種類の穏やかな代替策のうち10種類よりも、子どもの反抗や非協力的な行動を減らす上で効果的だった、と結論づけました。

つまり彼らにとって体罰は、「絶対悪」ではなく、使い方しだいで子育ての役に立ちうる「道具」なのです。

体罰容認派がもう一つ大事にしているのが、「長い目で見たときの悪影響は、本当に言われているほど大きいのか?」という点です。

ここで議論は少し変わります。

先ほど紹介した「古い比較実験」は、「その場で子どもが大人の指示に従うかどうか」という短期的な結果を見ていました。

しかし、社会でよく語られる「体罰の害」の多くは、もっと長期的な問題です。

たとえば、「子どもを叩くと将来的に暴力的になりやすい」「精神的な問題を抱えやすい」といった話を私たちはよく耳にします。

つまり「体罰が子どもを悪くする」という考えです。

ただし、こうした「長期的な影響」を研究するのは、実はとても難しいものです。

本当に調べるなら子どもを長期間にわたりランダムに分けて体罰をするグループとしないグループを比べなければなりませんが、そのような実験は倫理的にゆるされません。

しかも虐待レベルの事案が発生した場合などは、観察に介入する必要があり、結果的に観察によって状態が変化してしまうという、ジレンマに陥ります。

そのため既存の研究は「体罰が子どもを悪くした」のか、それとも「もともと手のかかる子どもだったので親のしつけが強くなった」のかがわかりにくくなってしまうのです。

容認派の研究者は、この点を強く突いています。

彼らによれば、体罰に批判的な研究は、こうした「もともとの子どもの問題行動」と「親のしつけの強さ」との関係をうまく切り分けられていないため、単純に体罰を使ったことが原因で問題が生じたと誤解しがちだ、というのです。

そこで容認派が重視しているのが、「子どもの最初の問題行動のレベルや家庭環境など、出発点の違いをある程度調整した縦断研究」です。

縦断研究とは、同じ子どもを何年にもわたって追いかけて、時間とともに変化する影響を詳しく見る研究のことです。

この方法なら、ある程度「もともとの違い」を取り除いたうえで体罰の影響を調べられるため、より公平な比較が可能だとされています。

Gunnoeらの2025年の論説では、こうした長期間にわたる縦断研究をまとめた3つのメタ分析が紹介されています。

その結果によれば、ふつうの軽い体罰が子どもの将来的な問題行動に与える影響は非常に小さく、「子どもが将来抱える問題のうち、体罰で説明できる割合は1%にも満たない」と要約しています。

特に、Gunnoeらが引用した最新のメタ分析では、「子どもの攻撃性や非行などへの影響」はわずか0.64%、「子どもの不安や抑うつ、認知や社会性の発達への影響」はさらに小さく、わずか0.16%にとどまったと報告されています。

この数字をどう解釈すべきでしょうか。

必要な場面で必要なだけの体罰は有効なのか?
必要な場面で必要なだけの体罰は有効なのか? / Credit:Canva

体罰容認派の研究者はこう言います。

「これほど小さい影響だと、まだ調整できていない子どもの元々の性格や家庭環境の影響でも十分説明できてしまう程度ではないか?」と。

さらにGunnoeらは、「統計の分析方法によって結論が大きく変わってしまう」ことにも注意を促しています。

つまり、同じデータでもある分析方法を使えば「体罰は有害」に見え、別の方法を使えば「体罰はむしろ役に立っている」と見えてしまうことがあるということです。

彼らにとって重要なのは、「体罰が本当に大きな害をもたらすなら、どんな分析方法を使っても一貫してその害がはっきり見えるはずだ」という点です。

たとえば青酸カリのような毒物を大量に人体に投与すると害があるかどうかは、どんな分析方法でも、対象集団をいくら巧みにあやつっても「害である」という答えは変りません。

しかし、実際には体罰が害であることを示す信号はそこまで一貫して強くは見えません。

――というのが容認派の見立てです。

だからこそ、容認派は「体罰は一律にダメ」という単純な結論には納得しません。

まとめると、容認派の科学は二本柱です。

一本目は、反抗的で停止指示が効かない未就学児に対する補助としての体罰に短期的な従順さの効果がありうるという柱です。

二本目は、ふつうの軽い体罰の平均的な長期影響は、厳密にみるとかなり小さい、ほぼゼロかもしれないという柱です。

ここまでくると、「体罰の害」というものが本当に私たちが思っているほど強力で確実なものなのか、揺らいできます。

では、こうした主張に反論はないのでしょうか?

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