雨乞いは分が悪い賭けのはずだった

雨乞いは、人類の歴史の中で何度も現れました。
作物が枯れ、井戸が細り、家畜が弱っていくとき、人々は空に向かって祈りました。
しかし、雨乞いには大きな弱点があります。
それは、答え合わせがすぐ来てしまうことです。
魂の救済や死後の世界をめぐる信仰なら、結果を日付つきで確認することはできません。
けれど雨乞いは神や信仰など宗教的な要素も抱えつつ、実際の結果を求められるシビアさがついて回ります。
実際、祈ったあとに雨が降れば、「効いた」と見なされますが、降らなければ、「効かなかった」と見なされてしまいます。
最悪の場合、怒った人々によって、神の祠そのものが壊されることさえありました。
世界には様々な「天に向けての祈り」があるなかで「雨乞い」ほど分が悪いものはないでしょう。
「人間には制御できない事象について、人間が結果責任を負う」というコンセプト自体、成り立ちようがないはずだからです。
紀元前3世紀の中国の思想家・荀子もこう書き残しています。
「雨乞いをして雨が降ったからといって、何の意味もない。雨乞いをせずに雨が降るのと、同じことだ」
にもかかわらず、なぜ「雨乞い」は滅びなかったのでしょうか?
答えを得るため研究者たちはまず世界各地に住む1208の民族集団と彼らの住む土地の「雨のクセ」に着目しました。
すると、その中に3つのパターンが浮かび上がってきました。
1つ目は「確率が変わらない土地」でした。5日晴れが続こうが、50日続こうが、翌日の降雨確率はほとんど変わらない土地です。
2つ目は「降水確率が下がっていく土地」でした。雨が降った直後ほど次の雨も近く、乾きが続くほど雨はむしろ遠くなるタイプでした。
3つ目は、乾きが長引いた末に、降水確率がふたたび上がってくる土地でした。このような土地では、干ばつが長続きするとき、最後に雨が降ってから時間がたつほど、翌日に雨が降る確率が上がっていきます。
この3タイプのうち「上がっていく土地」に目をつけると雨乞いが当たる仕組みが見えてきます。
「上がっていく土地」では「十分に長く干ばつが続いた状態」というのは、雨が降る確率が高くなっていることに他ならないからです。
このような土地では、人々が「もう雨が必要だ」と感じて祈りを始める時期と、自然の側で「そろそろ雨が近い」時期が重なります。
すると、人々から見れば祈ったあとに雨が降り「祈りが届いた」ように見えてきます。
実際、研究チームはこの「上がっていく土地」の集団は、そうでない集団に比べて、雨乞いをする確率が47%高くなっていることを突き止めました。
つまり雨乞いは、祈りが雨を呼んだから生き残ったのではありません。
もともと当たりやすい土地でだけ、生き残ったのです。






























