賢い司祭は、一人もいらなかった

ここで多くの人は、こう考えるはずです。
「長い歴史の中で、誰かが気づいたのだろう」と。
何十年も空を見ていれば、「乾きが長引いたあとには雨が来やすい」と勘づく司祭がいてもおかしくありません。
その勘の良い司祭が、後輩に教える。教えられた後輩が、また後輩に教える。
そうやって雨乞いのマニュアルは磨かれていった——そう考えるのが自然です。
ところが研究チームは、モデル上はそんな賢者は一人もいなくていい、と言います。
考え方の骨組みは、生き物の進化とよく似ています。
生き物は、自分の体を設計しません。少しずつ違う個体が生まれ、たまたま環境に合っていた個体が多く子を残し、その形が次の世代に受け継がれる。
これを繰り返すだけで、まるで誰かが設計したかのように、環境にぴったり合った形ができあがります。
論文が雨乞いに持ち込んだのは、これとよく似た理屈でした。
世代ごとに、新しい宗教指導者が現れます。
このモデルでは、彼らは戦略家ではありません。天気の知識もありません。
ただ、それぞれバラバラのタイミングで祈るだけです。
ところが、この「バラバラ」によって、人々の反応がまるで変わってきます。
早すぎる祈りはそもそも外れやすいですし、遅すぎる祈りは雨に先を越されてしまいます。
ですがその中間だと、雨への需要が高まり、しかも自然の側でも雨の確率が上がっています。
このタイミングで祈った指導者は、「祈ったら雨が降った」という経験を生みやすく、支持を集めやすくなります。
すると、支持を多く集めた指導者だけが生き残り、集められなかった指導者は次の世代で取って代わられていきます。
残った祈り方が、その世代の「やり方」になります。
次の世代でも、また同じことが起こります。
誰も改良していません。ただ、支持されなかった祈り方が消えていくだけです。
論文のシミュレーションでは、このような選別が世代をまたぐと、残る祈りの開始時期が最適点の周りに集まっていく様子が示されています。
モデルの中で50世代を回すと、祈りの開始時期の分布がかなり狭くなる、という図も示されています。
誰も詳しい知識を持たずとも、雨乞いのマニュアルは、ちょうどいいタイミングへと磨かれていくのです。
これはある意味で「誰の頭の中にもない知恵」と言えるものです。
もちろん、長い歴史の中には、本当に賢者と言える司祭がいたかもしれません。
しかしどちらの道をたどったにせよ、祈りが雨の近い時期に寄っていくという結論は変わりません。
分が悪い賭けであるはずの雨乞いが生き残ったのは、当たりやすい時期がある地域で儀礼が支持され、雨を予測しやすい始めどきが文化の中に残ったからだ——研究チームは、そう考えています。






























