侵略者に荒らされた遺骨を拾い集めた
串刺しの脊椎骨が見つかったのは、ペルーのチンチャ渓谷にある石造りの遺跡です。
およそ40平方kmにある664基の墓を調べたところ、同じ型のものが192本も見つかりました。
研究チームは、骨と葦の茎に含まれる放射性炭素をもとに年代測定を実施。
その結果、これらは紀元1450〜1650年の間、つまりインカ帝国が崩壊し、ヨーロッパの植民地支配が強化された時期のものと判明しました。
この時期は、同地の先住民であるチンチャ族にとって激動と危機の時代でした。
彼らは、インカ帝国に先立つ紀元1000〜1400年頃までチンチャ渓谷を支配し、裕福な中央集権社会であるチンチャ王国を築いていました。
15世紀末にはインカ帝国と合併し、約3万人の人口を擁するほどになります。
ところが、ヨーロッパからの侵略者であるスペイン人がもたらした疫病により人口が激減。
さらに、高度な武器を持つスペイン人侵略者との戦いで、チンチャ族の数は1583年にわずか979世帯にまで激減したといいます。
歴史的な記録では、スペイン人がチンチャ族の墓を荒らして、金や貴重な工芸品を盗み、遺骨を破壊したり冒涜したことが頻繁に記されています。
その際に、埋葬されていた故人の遺骨もバラバラにされてしまったのです。
このことから、研究主任のジェイコブ・ボンガース(Jacob Bongers)氏は「生き延びたチンチャの人々が荒らされた墓を訪れ、骨を拾い集めて葦の茎に通し、遺骨を組み立て直したことから、この習慣が生まれた可能性が高い」と指摘します。
チームが79本の串刺しの骨を綿密に調査したところ、成人または子どもの脊椎骨であることが判明しました。
ほとんどは一人の故人の椎骨でしたが、骨の数は不完全で、向きもバラバラであり、並べる順番もまちまちでした。
つまり、埋葬の一部として行われたのではなく、墓荒らしによって骨が破壊され紛失した後に、誰かが再び拾い集めて、葦に通して組み立て直したと考えられるのです。
アンデス先住民の文化は、遺体の完全性を保つことに重きを置いています。
それを踏まえると、チンチャ族が散乱した遺骨をこの方法で再構築し、少しでも完全な形に戻そうとしたと考えるのがもっとも妥当なのです。
ボンガース氏は、次のように述べています。
「こうした慣習は、大昔のコミュニティが死者をどのように扱ったかを知る手がかりになるだけでなく、人々が死者との関係を通じて自分たちのアイデンティティや文化をどのように定義していたかについても教えてくれます。
埋葬地における慣習は、まちがいなく私たちを人間たらしめているもので、これは人類の重要な特徴の一つです。
それゆえ、埋葬地の慣習を記録することで、古代の人々がいかに人間性を発揮していたのかを学ぶことができるのです」
同様に、一見不気味に見える歴史の遺物には、こうした悲しい背景が隠されているのかもしれません。