学生への罰としての「書き取り」を大量発見!
チームは2018年から、アスリビス遺跡にある大神殿の西側で発掘を進めていたところ、大量のオストラコン(陶器のかけら)を掘り当てました。
神殿はクレオパトラの父であるプトレマイオス12世(BC117〜51年)により建造されたもので、これらのオストラコンも同時代に記録されたと考えられます。
発見されたオストラコンは壺やその他の陶器の破片を使用しており、文字の約80%はデモティック(民衆文字)でした。
古代エジプトでは、石に刻むためのヒエログリフ(聖刻文字)と、筆記用のヒエラティック(神官文字)が最初に発達しましたが、紀元前600年頃からヒエラティックを崩した簡略文字としてデモティックが誕生しました。
デモティックは庶民も使用できたため、これらのオストラコンは”日常生活のメモ帳”と見ることができます。
またオストラコンは、パピルス(当時の紙)よりはるかに安価で大量にあったため、庶民でも入手しやすいものでした。
調査の結果、メモは書記や商人、学生による記録と判明しました。
その多くは学校教育に関連したもので、月や数字の一覧、算数の問題、文法の練習などが含まれていたという。
さらに、オストラコンの裏表に同じ文字が何度も繰り返して書かれたものが100以上も発見されました。
発掘主任のクリスチャン・ライツ(Christian Leitz)氏は、これについて「教師が罰則として学生に書かせたもの」と指摘します。
何の違反に対する罰かはわかりませんが、当時から書き取りが罰則として存在したようです。
その他のメモには、名前のリストや食べ物、日用品の購入記録がありました。
珍しいものとしては、サソリやツバメなどの動物、人間や神殿の神々、それから幾何学模様の図像なども見られました。
一方、オストラコンの数は膨大にあるため、まだまだ調査は続きます。
当時の日常生活のあり方が明らかになれば、古代エジプトがもっと身近な存在になるかもしれません。