アサシン(暗殺教団)はどのように誕生したのか?
アサシン(暗殺教団)はどのように誕生したのか? / Credit: jp.depositphotos
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暗殺者(アサシン)の語源となったイスラムの「暗殺教団」誕生の歴史

2022.07.01 18:00:52 Friday

「アサシン(Assassin)」は今日、要人の暗殺を手がける人物を指す言葉として、ゲームの名前にも使われるほど定着しています。

では歴史上、アサシン(暗殺者)がいつ、どこで生まれたのかはご存知でしょうか?

アサシンは元々、11世紀のイラン北部に出現したイスラム教の”暗殺教団”を指す名称として誕生しました。

そして、この暗殺教団の誕生の背景には、イスラム教における複雑な分派争いが絡んでいます。

ここでは、暗殺教団の形成から、その生みの親、「アサシン」という名称の由来まで、順に説明していきます。

The Real Assassin’s Creed https://www.heritagedaily.com/2022/06/the-real-assassins-creed/143870

アサシン誕生にいたる「イスラム教の分裂」の背景

西暦610年、預言者ムハンマドが神の啓示を受けて誕生したイスラム教は、632年になって最初の分裂に直面します。

ムハンマドの後継者に誰を据えるべきかで争いとなり、イスラム教徒は、少数派の「シーア派」と多数派の「スンナ派」に分裂します。

それから9世紀に入り、シーア派の中で再び、指導者に関する論争が勃発しました。

結果として、イスマーイールという人物を指導者として支持するグループが、シーア派内部で分裂し、独自の「イスマーイール派」を作ることになります。

のちにイスマーイール派は、エジプトのカイロを首都とするファーティマ朝を建国して、支配するまでに成長します。

イスラム教は後継者争いで複雑に分派している
イスラム教は後継者争いで複雑に分派している / Credit: canva

ところが、11世紀の終わり頃、ファーティマ朝を統治していた指導者が亡くなった際、その息子である2人の兄弟の間で後継者争いが起こります。

本来は、兄のニザールが後継者として有力でしたが、これを退けて、弟のムスタアリーが指導者として即位するのです。

その後、ニザールは処刑されてしまいますが、彼を支持していたグループがペルシア(現イラン)に逃れ、そこでイスマーイール派からさらに分派を形成します。

これが「ニザール派」です。

そして、このニザール派の最初の指導者となったのが、ハサン・サッバーフという人物でした。

このハサンこそ、アサシン(暗殺教団)の生みの親と言われているのです。

暗殺教団の生みの親「ハサン・サッバーフ」とは?

ハサン・サッバーフ(?- 1124)は、今日のイランの首都テヘラン南部にて、十二イマーム派(シーア派の一派)の家に生まれました。

ハサンは、早い内から様々な学問に強い関心を抱き、17歳ごろまで数学や天文学、言語学や哲学などを研究していたという。

この間に、彼はイスマーイール派と接触し、その教義に感化され、信徒となっています。

のちハサンは、ペルシア国内を広く巡り、布教のための拠点を探す中で、イラン高原にあるアラムート城を占領。

この高地を拠点としたことから、ハサンは「シャイフル・ジャバル(山の長老)」と呼ばれるようになりました。

そして11世紀末に、先述したファーティマ朝の後継者争いの中で、ニザール派が誕生すると、その最初の指導者として即位します。

ニザール派の指導者として即位
ニザール派の指導者として即位 / Credit: jp.depositphotos

ニザール派は、山中を拠点とする秘密主義を通し、「退廃的な異端者」として非難され、スンナ派だけでなく、同じシーア派からも毛嫌いされていました。

彼らを潰そうとする多くの敵に取り囲まれたニザール派の人々は、生き残るための行動を取らなければなりませんでした。

ハサンは、戦闘術に優れた戦士を選抜、育成し、これを「フィダーイー(=自己を犠牲にする者たち)」と名付けます。

しかし、少数派の彼らが、まともに大勢の敵とぶつかっては勝ち目がありません。

そこで、ハサンが採用した方法が、特定の要人をピンポイントで消す「暗殺術」だったのです。

敵地への潜入から拷問、暗殺、自死の心構えまで、あらゆる訓練を受けたフィダーイーの戦士は、敵に多大なる恐怖を与えました。

この暗殺集団の噂は、同時期に聖地エルサレムの奪回に来ていた、キリスト教徒の十字軍の間にも知れ渡ります。

実は、アサシン(暗殺教団)伝説が西洋から世界に広まるきっかけは、ここにありました。

アサシンの語源は「ハシシ(麻薬)」から来ている?

噂というのは、人から人へ広まるごとに尾びれが付いていくものです。

十字軍の間でも、フィダーイーについて、あらぬ噂がささやかれるようになります。

そもそも、戦闘において両軍同士が真っ向からぶつかることを当然とする西洋人は、フィダーイーの行う暗殺のような隠密戦術が理解できませんでした。

「そんなことができるのは、彼らがハシシ(麻薬)を吸って、気が狂っているからに違いない」

そう彼らは決めつけたのです。

そこから、フィダーイーの戦士はハシシを与えられ、その陶酔状態を利用し、要人暗殺の刺客に仕立て上げられている、という伝承が広まるようになりました。

そして、ハシシを常用する者を意味する「ハシシン」が、西洋的な発音の中で「アサシン」へと変化したわけです。

アサシンの語源は麻薬の「ハシシ」だった?
アサシンの語源は麻薬の「ハシシ」だった? / Credit: jp.depositphotos

この話は、マルコポーロの『東方見聞録』にも記載されている有名な逸話ですが、歴史家の多くは「西洋人の考えた”もっともらしい仮説”であり、史実とは異なるだろう」との見解を述べています。

ちなみに、アサシン(暗殺教団)を生み出したニザール派は、13世紀半ばに、モンゴル帝国の襲来によって拠点を失い、生き残った者は散り散りに去っていきました。

ニザール派は現在もインドやパキスタン、シリアなどに散在しており、少数のコミュニティが存続しています。

しかし、彼らが暗殺を手がけることは、おそらく二度とないでしょう。

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