アサシン誕生にいたる「イスラム教の分裂」の背景
西暦610年、預言者ムハンマドが神の啓示を受けて誕生したイスラム教は、632年になって最初の分裂に直面します。
ムハンマドの後継者に誰を据えるべきかで争いとなり、イスラム教徒は、少数派の「シーア派」と多数派の「スンナ派」に分裂します。
それから9世紀に入り、シーア派の中で再び、指導者に関する論争が勃発しました。
結果として、イスマーイールという人物を指導者として支持するグループが、シーア派内部で分裂し、独自の「イスマーイール派」を作ることになります。
のちにイスマーイール派は、エジプトのカイロを首都とするファーティマ朝を建国して、支配するまでに成長します。
ところが、11世紀の終わり頃、ファーティマ朝を統治していた指導者が亡くなった際、その息子である2人の兄弟の間で後継者争いが起こります。
本来は、兄のニザールが後継者として有力でしたが、これを退けて、弟のムスタアリーが指導者として即位するのです。
その後、ニザールは処刑されてしまいますが、彼を支持していたグループがペルシア(現イラン)に逃れ、そこでイスマーイール派からさらに分派を形成します。
これが「ニザール派」です。
そして、このニザール派の最初の指導者となったのが、ハサン・サッバーフという人物でした。
このハサンこそ、アサシン(暗殺教団)の生みの親と言われているのです。