インカ帝国はケチュア族の国であり、現在のアルゼンチン西部からコロンビア南部までの「タワンティン・スウユ」と呼ばれる広大な土地を統治していました。16世紀にスペインからの侵略を受けて滅びるまで、200年以上にわたって成立していた巨大な帝国であり、世界遺産に登録された「マチュ・ピチュ遺跡」は、非常に人気な観光スポットになっています。
そんなインカ帝国の文化に魅せられた科学者たちが、ある研究を実施。それは、インカ帝国の子孫・末裔のDNAを調べることで、インカ帝国の起源の謎に迫るものでした。
インカ帝国誕生に関しては「2つの伝説」があります。1つ目は「太陽の神がチチカカ湖に初代皇帝のカパックを遣わした」といったもので、もう1つは「パカリタンボ (Pacaritambo) という洞窟からカパックとその兄弟たちがこの世に遣わされた」とするものです。
この伝説を検証するため、チチカカ湖とパカリタンボ両地域の住民のDNAサンプルが採取され、調査がおこなわれました。3年にわたって彼らの遺伝子の枝分かれを追跡した結果、広大なインカの土地であるタワンティン・スウユの子孫の遺伝子が、2つの起源をもつことがわかりました。
その2つのうち1つは「チチカカ湖周辺」であり、1つは「パカリタンボ周辺」でした。つまり、驚くべきことに伝説が2つとも正しかったことになります。これを受け、研究をおこなったリマ大学のリカルド・フジタ氏は、「おそらく、インカの創始者は最初にパカリタンボ周辺で数十年間基礎を築いた後、クスコに移ってタワンティン・スウユ(インカ帝国)を築いていったのでしょう」として、2つの伝説がリンクしていることを示唆しています。
これで研究が終わったわけではありません。研究者たちは、さらに過去へとさかのぼってDNAを調査する予定です。そのためには、ミイラのような太古の遺物を調査する必要があります。
しかし、その作業は困難になることが予想されます。1532年にインカ帝国を滅ぼしたスペインのコンキスタドールが、インカのミイラを破壊してしまったという事実があるのです。
たとえそうであっても、フジタ氏はあきらめていません。現在彼らは、インカ帝国の歴史を追い、最もダイレクトなインカの祖先が埋められている場所を探しています。
via: phys.org / translated & text by なかしー
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