サンタのモデルになったトルコの聖ニコラウスとは何者なのか?
サンタクロースの大元のモデルは、貧しい人々に施しをしていた聖ニコラウスであるという話は聞いたことがあるかもしれません。
聖ニコラウスは西暦270年にローマ帝国の属州だった小アジア(現代のトルコ)でうまれました。
幼い頃からキリスト教の熱心な信徒だったニコラウスはその地の司祭になると、自分の財産を売り払い、貧しい人々に施しを行うようになります。
特に有名なのは、貧しさのあまり「身売り」されそうになった3人の少女を助けたエピソードであり、ニコラウスは真夜中に少女たちの家を訪れ、こっそりと窓から金貨を投げ入れました。
このとき投げ込まれた金貨は偶然、暖炉の近くにかけられていた靴下の中に入ってしまいましたが、後に家族たちに回収され、少女たちは身売りを避けることができたと伝えられています。
また死後には聖人に祭られ、オランダでは14世紀ごろから彼の命日(12月6日)をシンタクラース祭として祝う風習がうまれました。
(※セント・ニコラウスをオランド語にするとシンタクラースとなったから)
同様の聖ニコラウスの命日を祝う風習はヨーロッパ各国に存在しており、イタリアでは悪い子には靴下に「炭」を入れるという魔女の伝承と融合していきました。
そして新大陸への入植がはじまると、アメリカにもシンタクラースの命日(12月6日)を祝う文化が継承されていきます。
このとき、オランダ語が訛ってアメリカではサンタクロースと呼ばれるようになったと考えられています。
ただこの段階ではまだ、現在のようにクリスマス(12月25日)との結びつきは強固ではありませんでした。
しかし1820年代になるとアメリカにおいて、クリスマスとサンタクロースを結びつける文化が芽生え始め、彼をモチーフにした絵本がいくつも描かれるようになりました。
その中で、作者不明の絵本が「トナカイ」や「ソリ」「煙突」といった設定を追加してサンタクロースを描いており、これが流行したことでサンタ定番のモチーフが生まれたと考えられます。
そしてアメリカ発のサンタクロースが世界中に拡散していきます。
コカ・コーラ社の雇った画家がサンタクロースのデザインを生み出したという説明も見かけますが、実際のところはサンタクロースのイメージはすでにもっと以前から確立されていたようです。
日本においては19世紀末から20世紀初頭にかけてサンタクロースの文化が流入し、大正天皇が崩御された12月25日が休日に指定されると、一般への普及が大幅に進むようになったとされています。
現代の私たちがイメージするサンタクロース像は、さまざまな時代の多様な要素を取り込んだ存在と言えるでしょう。