200年以上を生きるホッキョククジラの長寿の秘密を探る
これまでの研究により、ゾウやクジラなど人間より遥かにサイズが大きい動物たちも、体を構成する1つ1つの細胞の大きさは人間やマウスとあまり違わないことがわかっています。
ゾウやクジラの体が大きいのは、1つ1つの細胞が大きいからではなく、より多くの細胞によって体が構成されているからだと言えるでしょう。
一方、近年の研究によりがんの発祥はDNAに対する、変異の蓄積が原因で起こることがわかってきました。
そのため、もしゾウやクジラの細胞が人間と同じ速度で変異を蓄積させるならば、あっという間に体が腫瘍だらけになり、短命に終わってしまうはずです。
しかしアフリカゾウの寿命は最大で60~70年であり、ホッキョククジラに至っては200年以上生きている個体もいることがわかっています。
また過去に行われた研究では、ゾウやクジラの体にはがんがほとんどないことが示されました。
これは一般にピートのパラドックスとして知られている事実です。
そしてこの事実は、ゾウやクジラなどの大型生物には、人間よりも優れたがん抑止能力があることを示しています。
そのためもしゾウやクジラのがん抑止能力を解明し人間に適応できるようになれば、がんを予防する上で極めて有用になると考えられています。
そこで今回、ロチェスター大学の研究者たちはホッキョククジラ細胞がどのようにしてがん発生を抑制し、長寿を達成しているかを調べることにしました。
調査にあたってまず最初に着目されたのは「がん化した細胞の処理能力」でした。
人間の免疫システムには異常な細胞に自殺命令を送信する仕組みが存在しており、がん化した細胞が増殖する前に素早く処理できるようになっています。
ゾウはこの点において人間よりも遥かに優れていました。
ゾウのゲノムにはがん化した細胞を自殺させるために必要な腫瘍抑制遺伝子の数が、人間よりも多く存在していたのです。
腫瘍抑制遺伝子の数が1つだけの場合、その遺伝子に変異が起きてしまえば、以降はがん化した細胞の自殺が難しくなり増殖を許してしまします。
しかし腫瘍抑制遺伝子が複数ある場合、変異が蓄積してそのうちのいくつかの機能が失われても、残った自殺遺伝子によって、がん化した細胞を処分することが可能になります。
そこで研究者たちは、ホッキョククジラと人間の皮膚細胞(線維芽細胞)を操作して、腫瘍抑制遺伝子の喪失に対する耐性をしらべてみました。
マウスの線維芽細胞の場合、2個喪失した時点で自殺が機能しなくなり、がん細胞が発生します。
人間の線維芽細胞の場合、がん化に必要な喪失数は5個となっています。
もしホッキョククジラの腫瘍抑制遺伝子が喪失に高い耐性をもつならば、より多くの喪失に耐えるハズです。
しかし意外なことに、ホッキョククジラの細胞は2個の腫瘍抑制遺伝子を喪失しただけで、がん化するようになってしまいました。
この結果は、ホッキョククジラのがん抑制能力は、がん化した細胞の処分能力の高さに依存しないことを示します。
(※ホッキョククジラの持つ腫瘍抑制遺伝子の全体数は不明ですが、人間よりも喪失しても大丈夫な数が少ないということは、クジラのがん抑制が細胞自殺にあまり依存していないことを示します)
そこで次に研究者たちが注目したのは、変異の原因となるDNA損傷の修復能力でした。
DNAの損傷が起きても素早く正確に修復することができれば、変異の蓄積を防ぐことが可能になります。
そこで研究者たちはクジラ・人間・マウス・ウシの細胞に対してDNAの2重鎖切断を実行し、修復される過程を観察しました。
2重鎖切断は2重らせん構造をしているDNAの両方の鎖が1度に切断される深刻な損傷であり、通常のDNA損傷に比べてがんは発生しやすくなることが知られています。
結果、クジラの細胞は他の動物に比べてDNAの2重鎖切断を遥かに高い効率と精度で修復できることが示されました。
この結果は、ホッキョククジラのがん耐性は、優れたDNA修復能力に依存していることを示します。
そうなると気になるのが、その高い修復能力をうみだす仕組みです。
ホッキョククジラはいったいどんな仕組みで、優れたDNA修復能力を実現していたのでしょうか?