産業振興には役に立った藩札
藩札には、その弊害がしばしば強調され問題視される一方、幕藩体制の時代背景を考慮すれば、その存在はやむを得なかった一面もあります。
また藩札は産業発展にも影響を与え、特に専売制との関係が強調されました。
1720年代以降、専売制と藩札の結びつきが明確化し、藩札の機能を高めました。
専売制が実施される場合、藩の「産物会所」が生産・販売面の管理をし、「藩札会所」が紙幣の管理を行い、連携して運営されたのです。
藩札の発行によって領内産物を買い上げ、中央市場で売却し、得た正貨で藩札の準備資金を充実させる方法が一般的でした。
しかし、この方式では既に領内で生産されている物資の買上げに充てられ、生産資金不足の際には買上物資が減少します。
それにより物価上昇を招き、領民は苦しむこととなりました。
一方、藩札が生産運転資金の供給を目的として発行された場合、効果が大きかった事例もありました。
例えば福井藩は生産振興政策として藩札を発行し、領内の生産者に低利で融資したのです。
この政策により、領内産業が発展し、藩の財政が改善しました。
福井藩の成功事例から、藩札が領内産業振興に資本として用いられる場合、その経済効果が大きいことが示されたのです。
一般的に、藩札の濫発は正貨との引き換えが難しく、破綻を招くことが多かった一方で、領内産業振興に資本として藩札を用いる場合は、正貨の増加を伴い、藩札が健全な通貨として機能したと言えます。
ただし、後者の好例は限られており、福井藩以外では高松藩や宇和島藩などで見られました。
藩札の運用方法によって、経済効果に大きな差異が生じたことが示唆されます。