曲がった鼻が音波を受信していた
クジラやイルカは狩りのときに高周波の音を発し、物体から跳ね返った音を受信することで周囲の状況を認識します。
このエコーロケーションのプロセスでは、頭部にあるメロン体が重要な役割を果たします。
メロン体は、特殊な脂肪質の組織で、音波を発生させ方向を制御するために使用されます。
音源の大元となっているのは背中の噴気孔(鼻)付近の左右非対称な軟組織となっており、この偏りが物体の探知に役立つ特殊な音波を生み出していると考えられています。
一方跳ね返ってきた音波の受信はどうしているのでしょうか?
イルカの場合、上の図のように、頭部から発信し、跳ね返ってきた音波は下顎で受信することが知られています。
反射した音波は脂肪で満たされた下顎ので受信され、音波がどの方向から反射してきたかを正確に特定する「指向性聴覚」を実現しているのです。
しかしクジラやイルカがこの「ソナーシステム」を進化の過程でどのように獲得したかは、まだ多くが不明となっています。
そこで今回カリフォルニア大学の研究者たちは、クジラやイルカの古い家系として知られるゼノロフス属(Xenorophus)の化石を調べることにしました。
ゼノロフス属は2500~3000万年前の北アメリカ東部海域に生息した体長3メートルに及ぶ大型の肉食動物であり、クジラやイルカなど海洋哺乳類の最も古い系統の1つであると考えられています。
外見は現在のイルカに似ており、近縁種に比べて大きな脳を持っていました。
まだ陸上にいたころの名残として陸上哺乳類によくみられる、上下に噛み合う臼歯のような歯を持っていました。
ちなみにクジラやイルカの先祖はパキケトゥス(Pakicetus)と呼ばれる陸上哺乳類だったことが知られています。
また2021年に行われた研究では4本足を持ちながら、かなり水中生活に適応した「4本足のクジラ」とも言うべきフィオミケトゥス・アヌビス(Phiomicetus anubis gen)の化石の分析が行われました。
ただこの頃にはまだ、ソナーシステムは存在していなかったと考えられています。
ゼノロフス属においてもソナーシステムの質は進化途上であったようで、噴気孔(鼻)の周囲にみられる非対称性は現存するイルカなどに比べてかなり弱くなっていました。
エコーロケーションが進化した具体的な経緯については、まだ完全には解明されていませんが高周波の音を発してその反響を利用するこの能力は、視覚に頼らずとも環境を把握できるため、特に暗い水中や濁った環境での生活に適しており、そのような環境が進化を促した可能性があります。
一方で、注目すべきことに、ゼノロフスの鼻先は左に2~4度傾いており、さらに陸上動物の外耳に相当する下顎の脂肪体も大きく傾いていることがわかりました。
受信器である下顎の脂肪体が傾いていることで、反射音を使ってより正確に獲物の位置や距離を感知できるようになっていたのです。
(※またこの傾きは鼻先と顎骨だけでなく、脊椎や腰椎にも及んでいました)
もしゼノロフスが現在の水族館で見ることができたのなら、どの個体も鼻先がバナナのように微妙に左に曲がっている様子がみられるでしょう。
同様の左右非対称な耳はフクロウなどでも確認されており、音に頼った狩りをするのを有利にする仕組みであったと考えられます。
残念なことに、ゼノロフスが編み出した鼻先を曲げる進化は現在のクジラやイルカには引き継がれませんでした。
現在のイルカやクジラは鼻先を曲げて受信機の性能を高めるよりも、噴気孔の周囲の左右非対称性を強化することで発信機の性能を上げる道を選んだからです。
鼻先を曲げる進化は受信性能を上げる役には立ちましたが、体の左右非対称性は運動性能に無視できない低下を引き起こし、生存競争において不利になったと推測されます。
以上の結果は、水棲哺乳類が現在のソナーシステムを獲得するにあたり、進化の途上でさまざまな試行錯誤を繰り返していたことを示しています。
研究者たちは今後、現存するハクジラなどを調べて曲がった鼻の痕跡が残っていくかを調べていくとのこと。
一部のハクジラたちは視界が数センチしかないマングローブ林のような濁った水域で音波探知能力に強く依存した生活を送っているため、受信能力の向上手段として鼻先を曲げている可能性があるからです。
また左右非対称な鼻を持つ水棲哺乳類が発見できれば、その形成過程を解明することで、動物の体の対称性がどのように維持あるいは解除されるかを調べる手掛かりにもなるでしょう。