20世紀最大の海難事故「タイタニック号の沈没」
1912年4月10日、タイタニック号はエドワード・ジョン・スミス船長の指揮のもと、英サウサンプトン港から米ニューヨーク行きの処女航海に出発しました。
タイタニック号(RMS Titanic)は、イギリスの海運企業ホワイト・スター・ライン社が保有する豪華客船で、全長269メートル、全幅28.2メートルに達します。
そこには乗員乗客を合わせて2200人以上が乗船しており、客層も一等客の富裕層から三等客の庶民層まで様々でした。
映画「タイタニック」ではまさに、ケイト・ウィンスレット演じるアメリカの名家の一人娘のローズが一等客として、レオナルド・ディカプリオ演じる貧しい青年ジャックが三等客として乗り合わせ、2人による身分違いの恋が描かれていました。
タイタニック号はニューヨークに向かって北大西洋を順調に航海していましたが、4月14日の23時40分に悲劇は起こります。
見張り番の船員が前方450メートルあたりに高さ20メートルほどの氷山を目視したのです。
ちょうどタイタニック号が差し掛かっていた海域は暖流と寒流がぶつかる場所で、海霧が発生しやすくなっており、当時も海面に白いもやがかかっていました。
船員が氷山を確認した時点ではもはや手遅れだったと考えられます。
氷山までは数百メートルの距離がありましたが、22.5ノット(秒速11.6メートル)で航行するタイタニック号が停止するには最低でも1200メートルの距離が必要でした。
また「氷山の一角」ということわざもある通り、氷山は全体の10%程度しか海面に姿を出していないため、直前で舵を切って回避しても水面下でぶつかってしまいます。
ただ当時、タイタニック号は絶対に沈むことのない不沈艦であると豪語されていました。そのためこのような氷山との衝突が起きても、沈没はしないと考えられていたのです。
その理由は、タイタニック号の綿密な設計にあります。タイタニック号は15枚の水密隔壁が設けられていて、船底が16の区画に区切られていました。そして、この区画の4つが浸水してしまっても、船は浮き続けることが可能な設計になっていたのです。
このようなタイタニック号の設計を見ると、不沈艦と豪語していたことにも納得がいきます。
これだけ細かく分けた区画の5つ以上が浸水する状況というのは想定しづらいものかもしれません。
しかし、実際はこの隔壁の高さが十分ではありませんでした。
複数のブロックの浸水に対して、この水密隔壁は高さが足りておらず、結局は浸水を止めらなかったのです。
こうしてタイタニック号は氷山に衝突し、船の損傷による浸水が原因となって翌15日未明に海の底へと沈没しました。
劇中でも描かれていたように、船員たちは実際に女性や子供を優先して救助用ボートに移しましたが、被害は甚大でした。
乗員乗客の多くが溺死または低体温症でなくなり、最終的な犠牲者数は1500人以上に上ったのです。
無事に生還したのは710名ほどでしたが、彼らも事故の恐怖や家族、友人を亡くした悲しみを生涯にわたって背負うこととなったでしょう。
これは戦時中に沈没した事故を除いて、20世紀最大の海難事故となりました。
そして「タイタニック号を沈没させたとされる氷山」の写真は、この数日後にある男性によって撮影されることとなります。