遺体回収時に撮影された一枚
タイタニック号が沈没したとの連絡を受けて、事故から2時間半後に最初の救助船カルパチア号が到着しました。
なんとか海に浮かんでいた2人の生存者の救助に成功したものの、不幸なことに、海底に沈んでしまった者たちを救うことは叶いませんでした。
そこで今度は海底に沈んでしまった遺体を回収するための船が出されます。
その中で最も早く現場に到着した一人が、葬儀会社を経営していたジョン・スノー・ジュニア(John Snow Jr)という男性でした。
彼はマッケイ=ベネット号という船に、遺体を収める棺を100基と遺体を保存するための氷100トンを積んで現場に向かい、全体で306名の遺体を水中から回収しました。
また遺体回収については一般にあまり知られていない暗い話があります。
なんと遺体の回収は一等客の富裕層が優先され、三等客の庶民や貧困層の遺体はそのまま海に残されたというのです。
オランダ・エラスムス大学ロッテルダム校(EUR)で都市社会学を専門とするジェス・ビア(Jess Bier)氏によると、「どの遺体を回収するかは犠牲者の経済的な階級に応じて決定され、一等客は防腐処理されて棺に収められ、二等客は帆布に包まれ、三等客と乗員は海に残された」といいます。
その最中、ジョン・スノー・ジュニアは沈没場所のすぐ側にあった巨大な氷山を写真に撮影し、「Titanic」というキャプションを付けて後世に残しました。
実際の写真がこちらです。
この写真は1990年代初めに個人コレクターの手に渡るまで、スノー家に代々受け継がれていたといいます。
しかしこのほど、イングランドの競売会社であるヘンリー・アルドリッジ&サン(Henry Aldridge & Son)によりオークションに出品されることとなりました。
競売人のアンドリュー・アルドリッジ(Andrew Aldridge)氏はこのように話します。
「この写真がタイタニック号を沈没させた氷山だと断言できる人はいません。
しかし私たちに言えるのは、救助船カルパチア号の後に、事故現場に最初に到着したのがマッケイ=ベネット号であり、そこに乗っていた葬儀屋がこの氷山の写真を撮影したという事実です」
実際に、タイタニック号を沈没させたとされる氷山の写真はこの他にもあります。
こちらがその一枚で、窪みの部分にはタイタニック号の破片と同じ赤い塗料のようなものがこびりついていると言われています。
一体どちらの氷山がタイタニック号を沈没させたのかはもはや分かりませんが、どちらも事故現場にあったことは確かですし、タイタニック号が沈みゆく様を間近で見ていたのでしょう。
またこうした氷山の写真や目的証言は、タイタニック号が衝突した氷山がどのような規模のものであったかに対する洞察を与えてくれます。
当時目撃者の証言によると、写真の氷山のサイズは高さ17m近くあったと考えられています。この数値に基づいて、当時の事故調査では氷山全体の大きさが、高さ30 m、長さ 120mだったと推定されました。
しかし当時のこの予想はおそらく間違っていたと考えられます。
上図のような予想は、氷山がテーブルのような平面型だった場合の推定サイズです。しかし、写真に残るタイタニック号が衝突したとされる氷山は側面が解けて切り立った山のような形状をしています。
氷山は側面が解けていくと、通常バランスを崩して転倒してしまいます。
この事実を踏まえ、水面上に高さ17メートルを超える細長い氷山が突き立っていたことを考えると、タイタニック号が衝突した氷山の水面下のサイズは、少なくとも深さ90~185メートル、長さは約125メートルあったと予想されるのです。
水面上の写真だけでは想像できない巨大な氷塊が、海中に潜んでいたことになるのです。
アルドリッジ氏は「いずれにせよ、これは珍しい写真であり、多くの人の関心を集めることは間違いない」と話しました。
出品された氷山の写真は約4000〜7000米国ドル(約77万〜135万)で落札されると見られています。
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その後、海に沈んだタイタニック号は1985年9月1日に、ウッズホール海洋研究所とフランス国立海洋開発研究所により、海底3650メートル付近で残骸が発見されました。
また2004年6月には、アメリカ海洋大気庁(NOAA)がタイタニック号の損傷状態を調査し、上の写真を撮影しています。
現在では「タイタニック国際保護条約」が制定されており、タイタニック号を未来に残すべき遺物として、残骸の劣化防止や違法な遺品回収の取り締まりが行われています。