武士も商人もみんなで銭湯へ!
そんな銭湯ですが、どのような人が利用していたのでしょうか?
長屋住まいの町人が銭湯に通っているシーンは時代劇などでよく見られますが、町人だけではなく下級武士も通っていたのです。
また江戸の街において火事を起こすことは非常に重い罪とされていたため、風呂を焚く際に自宅から不注意で火事を起こすことを恐れて銭湯を利用する者も多かったと言います。
そのため自宅に風呂を作れるほどの財力のある商人であっても銭湯に通う人は決して珍しくはありませんでした。
それ故、江戸の街の銭湯には様々な階層の人が集まっており、身分を超えた交流もしばしば行われていたのです。
江戸時代の銭湯の営業時間は各店舗によって異なっていたものの、概ね午前8時頃~午後8時頃です。
朝は芸者や料理屋勤務の女性といった夜に仕事をしていた人たちや旅籠に宿泊している旅人が多く利用しており、銭湯は朝から大盛況だったとのことです。
やがて午後2時頃になると寺子屋帰りの子供たちが多く訪れ、それが夕方を過ぎると仕事を終えたありとあらゆる町人たちが銭湯に押し寄せました。
なお銭湯の料金はそれほど高くなく、その上「ハガキ」と呼ばれている入浴定期券も発行されており、銭湯通いが金銭的な負担になる事はあまりなかったとされます。
また銭湯では行事ごとに様々な変わり湯が行われており、端午の節句(現在の5月5日)の菖蒲湯や冬至の柚子湯などがありました。
これらの変わり湯の際には、通常料金に加えて余分にご祝儀を支払うというのがマナーであり、利用者は番台の上に置かれた三方(神饌を載せるための台)におひねりを載せました。