最初は蒸し風呂だった江戸時代の銭湯
銭湯の起源は意外に古く、鎌倉時代には入浴施設を持っている寺院が利用者からお金を取っており、これが銭湯の始まりであると伝えられています。
当時風呂といったら蒸し風呂が主流であり、現在のようにお湯につかるタイプの風呂はあまり見られませんでした。
当時は蒸し風呂で体から垢や汗を出し、蒸し風呂から出た後に体をお湯や水で流すという形で衛生面を保っていたのです。
このような入浴施設は室町時代にも多く見られましたが、京や大坂といった大都市が中心であり、家康が関東に転封された当時の江戸のような地方にはほとんど見られませんでした。
やがて家康は本拠地の江戸を発展させるために、上水道の設置や城の整備、埋め立て工事などといった土木事業を行っていきます。
それにより江戸には日本全国から労働力が集まり、江戸の街には彼らが重労働の後に汗を流す入浴施設の需要が高まることが予想されたのです。
1591年、この需要を嗅ぎつけた伊勢与一により、江戸の町で初めての銭湯が誕生しました。
この銭湯も当時の例に漏れず蒸し風呂であったものの、燃料や水を節約するために、蒸気を逃さないように戸棚によって風呂室を密閉した戸棚風呂というスタイルで経営されました。
また戸棚風呂には浴室の中に小さい湯船が置かれており、入浴者は膝より下を湯船の中に浸していたのです。
時代が下るにつれて浴室内に置かれている湯船は大きくなり、徐々に現在と同じような湯に浸かる入浴スタイルへと変わっていきました。
それでも蒸気を逃がさないために閉鎖的になっている浴室の構造は変わらず、江戸時代を通して浴室の中は暗かったとされます。