人々の心を打つ「ポンペイ住民の石膏像」
イタリアのカンパニア州には「ヴェスヴィオ山」と呼ばれる火山があります。
この山は現在も活火山であり噴火の恐れがある監視対象となっていますが、西暦79年に特に大きな噴火事件を引き起こしました。
ヴェスヴィオ山が大噴火を起こし、当時、山の麓にあった都市「ポンペイ」を大量の火砕流が襲ったのです。
古代都市ポンペイは滅び、その姿は火砕流と火山灰によって完全に埋もれてしまいました。
この時に発生した火砕流の速度は100km/h以上であり、ポンペイ市の住民は逃げることもできず、一瞬のうちに全員が生き埋めになります。
犠牲者たちの遺体は灰の層に包まれることになりましたが、火山灰は周囲の酸素を遮断するため、細菌による遺体の分解が遅くなり、遺体の形が比較的長く保たれました。
このため、ポンペイを覆う火山灰の層には、犠牲者が倒れた姿をそのまま写し取った空洞が残されたのです。
ポンペイは、その後1700年放置されたままでしたが、18世紀に発掘が開始され、このとき犠牲者の空洞も発見されました。
そして19世紀の考古学者は、この空洞に石膏を流し込むことで、彼らの最後の姿を再現することに成功したのです。
これらポンペイの像の中でも有名なのは、子供を含む「4体の像」であり、彼らは1組の家族だと考えられてきました。
多くの人は、写真の右には「子供を抱きしめる母親」がいると考えました。
噴火から逃げる時、もう間に合わないと思った母親が愛する我が子を抱きしめ、火砕流から何とか守ろうとした姿が、そのまま残ったというのです。
また「抱き合う2人の女性」の像も有名であり、彼女たちは「姉妹」または「母と娘」だと考えられていました。
人々はこれらの像から当時の恐ろしい状況を想像し、またそのような悲劇に襲われたポンペイ市民たちが最後に見せた「絆」の物語に胸を打たれてきました。
しかし、最新の研究により、こうした感動が一方的で間違った解釈だったと判明しました。