フェルマーの最終定理 解決の重要鍵1 「楕円曲線」
楕円曲線とは、ある方程式の性質を調べる数論の問題です。
数論とはただひたすらに数の性質を調べるだけの、極めてストイックな数学の分野です。ある意味もっとも純粋な数学かもしれませんが、数学者以外から見たらなんの意味があるのかさっぱり意味不明な研究分野でしょう。
これが楕円曲線の基本となる方程式です。別にこの式自体は理解しなくても構いません。
楕円曲線論はこの方程式のaやbにいろんな数字を当てはめて、そのとき方程式から整数解が得られるか、解はいくつ存在するか、という性質を調べます。
紛らわしいですが、楕円も曲線もあまり関係ありません。もともとは、この方程式が楕円や惑星軌道の長さを計算するために使われていたことが名前の由来ですが、現在はそういう枠は超えて、ただこの方程式の性質を調べる学問になっています。
整数解があるかどうか、という聞き方でピンと来た人もいるでしょうが、フェルマーの最終定理も「xn + yn = zn」という方程式の性質を調べる数論の問題です。
数論の問題は、その研究の第一人者だった紀元前の数学者ディオファントスにちなんでディオファントス問題と呼ばれることがあります。実はフェルマーはこのディオファントスの大ファンで、楕円曲線についても研究していました。
アンドリュー・ワイルズも大学院生のとき、この楕円曲線を研究テーマに選んでいます。このことは後に重要な意味を持ってきます。
楕円曲線は、無限に存在する整数の組み合わせで、方程式の性質を調べていきます。そのため、ある程度使う数字を限定した時計演算という方法を使って調べるのですが、そのとき方程式の性質を表す要素としてE系列という数列の答えを得ることができます。
E1=1 ,E2=4 , E3=4 , …
例えばこんな感じです。
これはいわば数学的DNAと呼べるもので、ある楕円曲線のもつエッセンスがこの数列の中に込められているのです。
フェルマーの最終定理 解決の重要鍵2 「モジュラー形式」
モジュラー形式というのは4次元空間で極めて高い対称性を示すパターンに関する問題です。
数学の対称性は、私たちが一般的に使うのとは少し違う意味を持っています。数学のいう対称性とは、ある変換をしても変化が生じないことを意味します。
例えば監視カメラで、テーブルに置かれた食器を真上から監視しているとしましょう。

この中央の丸いお皿を、あなたが目を離した隙に誰かが回転させた場合、あなたはその事実に気づくことはできるでしょうか?
おそらく無理でしょう。なぜなら円は回転させても何も変化が起きないからです。けれどその横にあるフォークやナイフなら反対向きにされればすぐに気が付きます。
この場合数学では、円は回転という変換に対して極めて高い対称性を持つ、と表現されるのです。もしこれが正方形のお皿だったら、90度の回転に対しては対称性を持つことになります。
これが数学の対称性の意味です。そのため、回したりずらしたりしても形が変化しないような図形やパターンを作るというのが高い対称性の研究だと思えばいいでしょう。
さてそこでモジュラー形式ですが、モジュラーは上のお皿のようなX軸Y軸だけの二次平面ではなく、それぞれの軸が複素数(実数の軸と虚数の軸)になった4次元の軸上で議論されます。これを双極空間といいます。
双極空間は4次元なので人間の頭でイメージすることができません。しかし、天才画家のエッシャーはこの双極空間を二次元に埋め込んだ絵画をモジュラーの理論を利用して描いています。
「何言ってんのかわかんない」と思った人が多いでしょうが、モジュラーとは下の絵のような複雑な対称パターンを描く研究だと思ってもらえばいいでしょう。

このモジュラー形式にも、その構成要素を表すM系列という数列があります。
M1=1 , M2=2 , M3=3 , …
という具合に、高い対称性のパターンを生み出すためのモジュラーのDNAとなる数列があるのです。構成要素をどのような値にするかによってさまざまなモジュラーが生まれます。
この構成要素に適当に数値を選んだ場合、たちまち対称性は失われそれはモジュラーではなくなってしまいます。
すべてが1つにつながった!
楕円曲線とモジュラー形式は、数論と位相幾何学というまるでなんの関わりもない別分野の問題です。
確かに2つの問題は、E系列、M系列という似たような数列でその性質を表現します。しかし、同じ数学ではあっても、もはやそれは別の科目とみなせるくらい数学者にとっては全然無関係の学問だったのです。
そのため、谷山が最初にこれらは同じ概念を論じているのではないか? と言ったとき誰も信じられなかったのです。ただ、志村五郎を除いては。
「君の意見では、いくつかの楕円曲線とモジュラー形式が関連付けられると言うんだね?」ある高名な数学者に疑うように尋ねられた志村は、こう答えたそうです。「いいえ、そうではありません。いくつかではなく、すべての楕円曲線です」
そして志村は、必死の研究の果てに、谷山の驚きのアイデアを理論付けして「谷山-志村予想」として発表します。
「見事な予想でした。どの楕円曲線にも1つのモジュラーが付随しているというのですから」
ハーバード大学教授のバリー・メーザーは、「谷山-志村予想」をそのように語っています。
ある領域で解決できない問題が、別領域の問題に変換可能で、新しい領域のテクニックによって解決可能できるかもしれない、それは革命的なアイデアでした。世界中の数学者がこの予想の虜になったのです。
そして1984年、ついにこの問題がフェルマーの最終定理と結びつきます。ドイツの数学者ゲルハルト・フライが驚くべき発見を発表したのです。
それは「フェルマーの最終定理に登場する『xn + yn = zn』は楕円曲線に変換可能だ」というものでした。フライはもし仮にフェルマーの最終定理に解が存在するとしたら、という仮定から1つの楕円方程式を作り上げたのです。
その後、カリフォルニア大学バークレー校の教授ケン・リベットが極めて重要な証明を成功させます。それは「フライの楕円曲線は異常すぎてモジュラーにはならない」というものでした。
二人の数学者の仕事は次の事実を明らかにしました。「フェルマーの最終定理に解が存在した場合、それは楕円曲線に変換可能であり、そこには付随するモジュラーが存在しない」
これはつまり、すべての楕円曲線には付随したモジュラーが存在するという「谷山-志村予想」が事実ならば、フェルマーの最終定理には解が存在しないことを意味しています。
まったく異なる分野で議論されていた数学の問題が、このとき数世紀に渡る難問の解決とつながったのです。
360年の難問が解けた!

こうして解決の糸口さえもつかめなかった「フェルマーの最終定理」を証明する道具はすべて揃いました。
大学院でフェルマーの最終定理の研究を断念し、楕円曲線の研究を行っていたワイルズは運命を感じたかもしれません。
亡くなった友人の意志を継ぎアイデアを形にした志村五郎、フェルマーの式を楕円曲線に変えたゲルハルト・フライ、そのフライの楕円曲線がモジュラーでないことを証明したケン・リベット、数々の数学者たちの偉業の果てに、問題は1つに繋がりました。
そしてアンドリュー・ワイルズが「谷山-志村予想」を証明することで、フェルマーの最終定理は最終的な解決を迎えたのです。
ワイルズはこの証明に、実に7年もの歳月をかけました。それは1995年、フェルマーの問題が発見されてから実に360年後のことでした。
多くの数学者たちを悩ませた問題を解いたのは、10歳のときこの問題に出会い数学の道を志した1人の少年でした。彼は30年越しにその夢を叶えたのです。
ケンブリッジ大学で行われたこの証明に対するワイルズの講演には、リベットやメーザーなどそこに至るまでに関わった著名な数学者たちが数多く集まっていたといいます。
ワイルズはこのときのことを次のように思い返しています。
「証明を口にすると、なんとも言えない威厳に満ちた静寂が訪れました。私は黒板にフェルマーの最終定理を書き、こう言ったのです。『ここで終わりにしたいと思います』喝采が沸き起こりいつまでもやみませんでした」
フェルマーの最終定理は「谷山-志村予想」の証明によって幕を降ろしました。実際数学者の多くはフェルマーの最終定理が解決されたことより、「谷山-志村予想」が証明されたことのほうが意義が大きいと考えています。
しかし、当時の報道ではフェルマーの最終定理が大きく取り沙汰され、この二人の日本人数学者の偉業については、ほとんどメディアで触れられることがありませんでした。
友人の死後、35年を経てその予想が証明されたことの感想を尋ねられた志村吾郎は、穏やかに微笑んでこう答えたといいます。
「だから言ったでしょう」

フェルマーは本当に証明を見つけていたのか?

しかし、疑問が残ります。
フェルマーの最終定理の証明は、最近になって見つかった多くの数学の理論やテクニックが使われています。それらはフェルマーの生きた時代には存在していなかったものです。
フェルマーは確かに楕円曲線の研究を行っていましたが、モジュラー形式は20世紀になってから発見された数学の分野です。
だとしたらフェルマーは、はったりをかましただけで、実は証明などできていなかったのでしょうか?
しかし、フェルマーの最終定理は360年を経て正しかったことが証明されています。彼の主張は間違ってはいなかったのです。
もっとずっと簡単で単純な、17世紀の数学の知識とテクニックだけで解決できる証明が存在するのでしょうか?
もしかしたら、それこそがフェルマーのいう真に驚くべき証明かもしれません。ただ、彼は名誉よりも個人の楽しみを重要視していて、人を困らせることも大好きだったといいます。
数世紀にも渡って多くの数学者たちを悩ませたのなら、例え嘘つきと思われてもフェルマーは十分満足なのかもしれません。


















