360年の難問が解けた!
こうして解決の糸口さえもつかめなかった「フェルマーの最終定理」を証明する道具はすべて揃いました。
大学院でフェルマーの最終定理の研究を断念し、楕円曲線の研究を行っていたワイルズは運命を感じたかもしれません。
亡くなった友人の意志を継ぎアイデアを形にした志村五郎、フェルマーの式を楕円曲線に変えたゲルハルト・フライ、そのフライの楕円曲線がモジュラーでないことを証明したケン・リベット、数々の数学者たちの偉業の果てに、問題は1つに繋がりました。
そしてアンドリュー・ワイルズが「谷山-志村予想」を証明することで、フェルマーの最終定理は最終的な解決を迎えたのです。
ワイルズはこの証明に、実に7年もの歳月をかけました。それは1995年、フェルマーの問題が発見されてから実に360年後のことでした。
多くの数学者たちを悩ませた問題を解いたのは、10歳のときこの問題に出会い数学の道を志した1人の少年でした。彼は30年越しにその夢を叶えたのです。
ケンブリッジ大学で行われたこの証明に対するワイルズの講演には、リベットやメーザーなどそこに至るまでに関わった著名な数学者たちが数多く集まっていたといいます。
ワイルズはこのときのことを次のように思い返しています。
「証明を口にすると、なんとも言えない威厳に満ちた静寂が訪れました。私は黒板にフェルマーの最終定理を書き、こう言ったのです。『ここで終わりにしたいと思います』喝采が沸き起こりいつまでもやみませんでした」
フェルマーの最終定理は「谷山-志村予想」の証明によって幕を降ろしました。実際数学者の多くはフェルマーの最終定理が解決されたことより、「谷山-志村予想」が証明されたことのほうが意義が大きいと考えています。
しかし、当時の報道ではフェルマーの最終定理が大きく取り沙汰され、この二人の日本人数学者の偉業については、ほとんどメディアで触れられることがありませんでした。
友人の死後、35年を経てその予想が証明されたことの感想を尋ねられた志村吾郎は、穏やかに微笑んでこう答えたといいます。
「だから言ったでしょう」