名実ともに「命の蔓」であった賄賂
このように江戸時代の牢屋敷は非常に劣悪な環境であり、多くの囚人が法による裁きを受ける前に病気などで命を落としていました。
しかし牢屋敷で生き延びる手段がなかったわけではなく、それは牢名主に賄賂を渡すことです。
牢に初めて入る際、牢名主から「命の蔓はいくら持ってきた」と聞かれた際、十分な額の賄賂を渡すことができれば、最初から牢役人として牢内でのキャリアを進めることができます。
実際に後に実業家として名を馳せた高島嘉右衛門は小判を密売した罪で牢屋敷に入れられた際、100両の小判を牢名主に差し出すことによって、最初から牢内で畳一畳分のスペースを手に入れることができました。
高島が入牢した幕末期の1両の価値は大体20万円ほどであり、高島は2000万円を牢名主にポンと渡したことになります。
なお牢内への金銭の持ち込みは表向き禁止されており、入牢する際には全裸にさせて金銭の持ち込みがないかチェックしていました。
しかし奉行所の職員は牢名主などが牢外から物資を購入する際にピンハネしていたということもあり、あまり厳しくはチェックしていなかったのです。
またもし命の蔓がない状態で入牢したら、牢名主などから厳しいリンチを受け、そのまま命を落とすことさえありました。
江戸時代の牢屋敷で生き延びるためには資金力が必須であり、まさに地獄の沙汰も金次第であったことがうかがえます。