非倫理的な人体実験!内部告発から終焉へ
タスキギー梅毒実験の驚くべき点は、それがまったく秘密にされていなかったことでした。
PHSの研究者らは1936年から権威ある医学雑誌に実験結果を公表しており、1955年には研究対象となった男性患者の30%超が梅毒症状の進行によって死亡したことも報告していたのです。
タスキギー実験の内容は研究者の間ではかなりオープンであったにも関わらず、数十年もの間、誰も抗議することがありませんでした。

しかし悪の所業を黙って見過ごさなかった人物がついに現れます。
1965年12月、若き疫学者のピーター・バクストン(Peter Buxtun、当時27歳)は公衆衛生局に雇われて、タスキギー梅毒実験の調査に赴きました。
そこでバクストンはタスキギー梅毒実験の真実を知り、自らが目撃したことに驚きを隠せませんでした。
彼は「アメリカ公衆衛生局がそんなことをやっているなんて、とても信じたくなかった」と話しています。
バクストンは1966年に調査報告をまとめた抗議文書をアメリカ疾病予防管理センター(CDC)に送り、直ちに実験を中止するよう嘆願しました。
しかしCDCはバクストンの申し出を却下し、この臨床実験が「完了」するまで継続する必要があると確認されたのみでした。
このときの「完了」とは「被験者が全員死亡して解剖を受けるまで」を意味したといいます。

それでもバクストンは諦めませんでした。
最終的にバクストンは1970年代に入って、タスキギー梅毒実験の実情をマスコミにリーク。
この内部告発はアメリカ国内に大きな波紋を呼び、さらには国際的な非難を受ける問題にまで発展しました。
そして1972年10月、タスキギー梅毒実験はついに中止され、生き残った患者たちも直ちに適切な治療を受けました。

しかし実験の被害者は少なくありませんでした。
この研究が終焉する1972年までに生きていたタスキギーの被験者はわずか74名で、最初の399名のうち、28名は梅毒の悪化で死亡し、100名が梅毒の合併症で亡くなっています。
また彼らの配偶者40名にも梅毒の感染が確認され、19名の子供が生まれつき梅毒を持った状態で生まれました。
こうした非倫理的な所業ゆえに、タスキギー梅毒実験は「アメリカ合衆国の歴史上おそらく最も忌まわしい人体実験」の一つと言われています。
1997年5月16日には、当時の合衆国大統領ビル・クリントンが、実験の被害者に対し合衆国を代表して公式に謝罪をしました。
クリントンは「アメリカ政府がしたことは恥ずべきことだ…アフリカ系アメリカ人市民の皆さん、連邦政府が明らかに人種差別的な調査を画策したことを残念に思います」と述べています。


























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現在の倫理観、基準ではもちろん許される事でないのは明らかです。
ただ100年近く前、医療技術も人種差別も倫理観も一般社会レベルでは現在と大きく違っていおり、当時としてはそこまで異常な事ではない、そのような状況で行われた「臨床試験」だったのでしょう。もちろんこれを肯定するわけではありませんが、例えばある疾患の自然史、どのように発症していつ頃からどのような症状が出て、どのぐらいの期間をかけて、どのぐらい悪くなると、どのような合併症が起こって、何が原因で命が奪われるのか、という事は実は病気の実態を知る上で重要な事です。しかし現在のような発症すればすぐになんらかの医療介入が得られる恵まれた医療環境では、そのような疾患の自然史は簡単に検証できる事ではありません。そういった意味では貴重な臨床データである事にも間違いはないと思います。
肯定するわけではないとしながらも、その研究結果に価値があると称賛してしまうなら、結果として肯定してるのと同じですよ。
2種類の原爆が広島長崎に落とされたのも、戦争を終わらせる為というのはカバーストーリーで「それがどれだけの威力と影響力をもつかの大規模人体実験だった」というのが事実ですが、
あなたは原爆ドームの前で「それはそうとして研究結果に価値はあった」と、リベラルぶった物言いで言えるのでしょうか?
その発言は自身とは無関係であり、自分に決して不利益が生じないことを前提としたポジショントークであると思いますが、
そうした人体実験は現在もリアルタイムで行われてる自覚があまりにもないと思います。
科学とは名ばかりの社会的な権威による弱者への暴力、犯罪行為や残虐志向の正当化でしょう。
もしこれが真に科学であるのならば、科学自体が大したものでは無いのだなのと感じます。非倫理的、すなわち論外な上に成果も当たり前のことで別に大した発見が無い(個人や社会をプラスに導くような甲斐のある発見がない)。
本来もっと科学はレベルの高いものではないでしょうか。少なくとも今の科学はその期待込み、むしろその期待が主だって高い評価・地位を得ているはずです。(現在、いわゆるしょーもない研究と呼ばれやすいのはユニークさがあったり、遠すぎる将来への投資やニーズの大きい他分野への影響度が未知数だったりする研究のことで、それらは尊重されてほしいと個人的には思ってます。)
科学は、携わる者が誠実という前提があって初めて成り立つものではないでしょうか。そうでなければ誰も科学を信じたくなくなるでしょう。