「タスキギー梅毒実験」とは何だったのか?
タスキギー梅毒実験が行われたのは、アメリカ南東部アラバマ州のメイコン郡にあるタスキギーです。
タスキギーは歴史的に住民の大半をアフリカ系アメリカ人が占める町であり、2020年の国勢調査では住民の約96%が黒人となっています。
この実験はアメリカ公衆衛生局(PHS)主導のもと1932年から実施され、タスキギーに暮らす貧しい黒人労働者たちを対象に臨床実験が始まりました。
その研究目的は「梅毒を治療せずに放置した場合の症状の進行を長期にわたって観察すること」でした。
被験者として登録されたのは、黒人の小作農たち約600名です。
そのうち、399名は実験開始前から梅毒に感染しており、残りの201名は梅毒にかかっておらず、比較対象群として追跡されています。
彼らには米国政府の特別な医療プログラムに参加しているという説明がされていましたが、研究の真の目的は伝えていませんでした。
そもそも彼らのほとんどは正規の教育を受けていない貧しい労働者たちで、自分たちが研究に参加しているという認識すら持っておらず、無料で診療が受けられるようになったと逆に喜ばれていたといいます。
これは当時のアフリカ系アメリカ人コミュニティでは、医療アクセスが非常に制限されていたという事情も関係しています。彼らにとって診療が受けられるという事自体が貴重な機会だったのです。
そのためこの研究では、症状に苦しんでいる患者にも「悪い血液の治療をしている」という説明をしていました。
”悪い血液(Bad blood)”とは、貧血や倦怠感などの症状を含め、当時のアメリカ南部の黒人社会において最大の死亡原因を指す言葉として使われていたものです。
しかし実際は彼らが受けていたのは診療ではなく、単なる梅毒の進行状況を調べるための検査でした。
そもそも「梅毒」とは、どんな病気なのでしょうか?
梅毒は梅毒トレポネーマという細菌に感染することで起こる感染症です。
主に性行為によって感染し、発症すると性器や口内にしこりやただれが発生し、痛みや痒みのない発疹が全身に広がります。
治療をしないまま放置すると、数年から数十年かけて心臓や血管、脳などの臓器に病変が生じ、最悪の場合は死にいたるケースもあります。
元々、この臨床実験は6カ月程度実施するだけの予定だったようです。しかし、実際にはその後40年間にもわたって継続されました。
上述した通り、被験者たちはこの実験プログラムにおいて「治療を受けている」と認識していました。
それは実際、研究者側も治療しているという虚偽の説明をしていたためです。しかし、実際には何の治療もせずに、ただ採血やプラセボ(偽薬)の投与を続けていただけでした。
ただ、この研究が始まった1930年代は、まだ梅毒に有効な治療法自体が確立されていませんでした。
その後、1940年代に抗生物質の「ペニシリン」が梅毒に有効であることが明らかになるのです。
ところが、梅毒の有効な治療法が明らかになって以降も、この研究プログラムは終了せず、被験者にあえて適切な治療をしないまま継続されたのです。
タスキギーの人々はただ、梅毒を放っておくとどうなるかを調べるために、実験のモルモットにされたのです。