幸せになろうと思っうと不幸になる理由

「幸せのパラドックス」は、幸福を強く望むほど逆に不幸感や不足感が高まってしまうという逆説的な現象として、ここ十数年にわたって研究の焦点となってきました。
たとえば、先行研究では「幸せになりたい」という思いが時間的な焦りやストレスを増幅させ、結果的に満足度を下げることが指摘されています。
幸せになろうと努力した人の多くが不幸になるというのは、恐ろしい現象です。
そこで今回トロント大学研究チームはこの「幸せのパラドックス」についてより深く掘り下げることにしました。
その目的は近年になって注目されている「意志力」の枯渇です。
人間は何かを成し遂げようとするときに、意思の力を使いますが、その力は無限ではありません。
また他の研究では、意志力を使い果たすと、誘惑に負けやすくなったり意味のない行為に没頭したりと、良くない結果を引き起こすことが報告されています。
そこで今回研究者たちは
「幸せを追求することが自己コントロールを枯渇させるのではないか?」
と考え、この仮説を検証するために、合計4つの実験が行われました。
【自己報告調査と行動測定(スタディ1 & 2)】
最初の2つの研究(スタディ1・スタディ2)では、参加者が日常的にどの程度「幸せになること」を重視しているかを測定いたしました。
同時に自己コントロールの強さを調べたり、商品購入の場面を想定した選択タスクに費やす時間を計測することで、実際の行動面の指標も得られました。
結果として、幸せを強く求めると回答した人ほど、自己コントロールスコアが低かったり、タスクへの取り組み時間が短かったりする傾向が確認されました。
興味深いことに、こうした関連は単なる一時的な気分(「今日は調子がいい」「今日は調子が悪い」)の影響だけでは説明できないと考えられます。
つまり、根本的に「幸せを意識すること」が自己コントロール資源を消耗させる可能性が示唆されたのです。
【プライミング実験(スタディ3)】
続く3つ目の実験では、参加者を2つのグループに分け、「幸せ」という文言を含む広告を見せ、もう一方のグループには特に幸福を想起させない広告を提示いたしました。
その後、チョコレートの味見テストと称して「好きなだけ食べてよい」と伝え、実際に食べた量を測定いたしました。
その結果、「幸せ」と書かれた広告を見たグループはより多くのチョコレートを口にしたことが確認されました。
つまり、ごく短時間の「幸せ暴露」でも、自己コントロールが弱まり、欲望を抑えにくくなる可能性があると考えられます。
【ゴール比較実験(スタディ4)】
最後の4つ目の実験では、2つの条件を設定いたしました。
1つは「より幸せになれそうな選択」をするよう指示するグループであり、もう1つは「個人的な好み(正確さ)」に基づいた選択をするよう指示するグループでございます。
参加者は日用品や飲み物などのペアを提示され、どちらを選ぶかを判断した後、アナグラム(文字並べ替えパズル)を解くタスクに取り組みました。
ここで注目したのは、どれだけ粘り強くパズルを解き続けるかという「持続力」の差でございます。
その結果、「より幸せになる選択」を意識したグループは早くギブアップする傾向がみられ、幸福を追求している最中に意志力が消耗されることが明確に示唆されました。
総じて4つの実験は、幸せを求める行為が自己コントロールを疲弊させるという一貫したパターンを示しております。
幸せの追求そのものが心理的レバレッジを奪い、日々の意思決定や誘惑への抵抗力を弱めることが、まさに「幸せを願うリスク」の核心であるといえます。
この結果は、幸せになろうと努力することや何らかの幸せに暴露させられることが、人間の意思力を急激に消耗させ、自己コントロール能力を奪っていることを示しています。
「もっとポジティブな気分にならなければならない」「これくらいでは満足してはいけない」と意識的に自分を変えようとするほど、そのためのエネルギーを消耗し、結果として自制心や集中力を失いやすくなります。
そしてその結果として、幸せを実現させるのとは正反対な行為や習慣に引きずられてしまい、不幸に陥るのです。
幸せな人と比較して不幸を感じる場合は基本的に、相対的な不幸であり絶対的な没落とは異なります。
しかし意志力を消耗して誘惑に負けたり無意味な行為に没頭するのは直接的に不幸を呼び込む行為です。
他人と比べて収入が少ないことに不幸を感じるより、幸せを目指す過程で意思力を失い、仕事に行かなくなり失職するほうが、より直接的かつ絶対的な不幸です。
そういう意味では「幸せを目指して不幸になってしまう本当の原因」は、他人との比較ではなく、意思力の消耗による没落と言えるでしょう。