幸せを目指すと不幸になるのは「周りとの比較」のせいではなかった
幸せを目指すと不幸になるのは「周りとの比較」のせいではなかった / Credit:Canva
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幸せを目指すと不幸になるのは「周りとの比較」のせいではなかった (2/2)

2025.03.04 21:00:38 Tuesday

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幸せになりたい人は「幸せそのもの」を目指してはいけない

幸せになりたい人は「幸せそのもの」を目指してはいけない
幸せになりたい人は「幸せそのもの」を目指してはいけない / Credit:Canva

幸せのパラドックスの背景にある自己コントロール資源の枯渇は、私たちに「幸福の追求」という行為を再考すべき大きな示唆を与えています。

まず言えるのは、「幸せを目指すな」という極端な主張ではなく、目標としての「幸せ」を掲げるのではなく、「すでにあるもの」に目を向け、そこから楽しみや感謝を見出す姿勢が重要であるということです。

意図的にポジティブな感情を得ようと奮闘するよりも、目の前の生活や人間関係を受容し、今ある資源を味わう――いわば「肩の力を抜く」ことが、結果として持続的な幸福につながる可能性が高いと考えられます。

一方、近年のセルフヘルプ産業は「こうすればすぐ幸せになれる」というメソッドを大量に生み出し、その中で「あなたの幸せはあなた次第」とのメッセージを発信しています。

もちろん、自分の力で幸福を築く前向きさは悪いことではありませんが、過剰な楽観や過度な責任感は意志力を消耗させ、逆に幸福感を損なうリスクがあります。

また、SNSをはじめとしたメディア環境も、より優れた「ハッピーライフ」をアピールし合う構造を促しており、われわれが「幸せ競争」に巻き込まれやすい状況を生み出しているのです。

このような社会的・文化的背景が、幸せを目指す人々をさらに疲弊させる原因となっている可能性は否めません。

また、文化的要因にも目を向けると、個人主義的な社会では「自分の幸せは自分でコントロールすべきである」というプレッシャーが一層強まりやすいです。

一方で、集団主義が色濃い文化圏では「共同体の調和」や「みんなと幸せを共有する」という価値観が優先され、自分を過度に追い詰める必要が少なります。

今後は、国や文化圏ごとに「幸せを願うリスク」の度合いがどのように異なるのかを探る研究が進められることが期待されます。

「幸せの追求」そのものが無意味であるというわけではありません。

大切なのは、幸福を目的として身を粉にするのではなく、結果として訪れるものとして受け止める姿勢です。

人や物とのつながり、日常生活のささいな喜びを味わうことこそが、意志力を過度に消耗することなく、持続的なウェルビーイングを支える鍵となるでしょう。

研究チームが提唱する「Just chill.(リラックスして)」というメッセージは、一見シンプルですが、現代社会において失われがちな「ほどほど」の感覚を取り戻すための重要なヒントとなるでしょう。

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幸せを目指すと不幸になるのは「周りとの比較」のせいではなかった (2/2)のコメント

ゲスト

仏教がとうの昔に出した結論にようやく追いついたわけですね。

    むく

    まさにそうですね
    まず前提として、「幸せとは何か」
    このレポートでは全く触れていませんよね
    人の数だけ幸せはあってことなのに、幸せに執着するなのような古い仏教の教えと同じ
    時代に乗り遅れたネタ切れの単なる天邪鬼のレポートでした☝️
    「幸せ」という言葉のみに注目した子供じみて呆れてます
    意志力というワードも、それこそ意味不明なワードです
    稚拙すぎて面白いけど(笑)

ゲスト

足るを知る、という言葉は思っている以上に本質的な格言なのかも

そもそも幸せには2種類あるという(古代ギリシャのソクラテスの時代から繰り返し言われている)視点が欠けていると思う。
欲望による幸せを求めれば(思いどおりにならず=この記事でいう意志力を消費し)不幸になるのは当たり前だ。
もう一つの善いことを行う幸せ(善い解釈、善い行い、善さを求める)しか確実なものはない。
ソクラテスの有名な「ただ(欲望に従って)生きるのではなく、善く生きよ」に既に答えが示されている。

ゲスト

スマホがない時代の方が幸せだったかも

ゲスト

意味わからん。チョコを多く食べることが不幸せなことなのか?パズルを長くとかことが幸せなことなのか?

そもそも、自己抑制=幸せという曖昧な定義の根拠は?マシュマロテストですか?

幸せになるために多くのチョコ食べ、意味のないパズルを早々とやめた。

それだけのこと。

    ゲスト

    それらは意志力がどれほど消耗された指標とされてるだけで不幸せって言ってるわけじゃない。
    自己コントロールが失われることで没落するリスクが大きくなるということ。

    ゲスト

    そもそも、そんな簡単な実験で自己抑制なんて測れるか、尺度も手法も穴だらけ。

    結構昔からこの手の先行研究は再現度なしなんだよ。

    科学じゃねぇんだよ、

    持続的な幸せ、消耗、消費されない、満足感そういう価値観はわかるさ。

    でもよ、そういう価値観が科学的に考えても、と主張するのは筋がちがうのよ。

時の旅人

ありがとうございます。改めて感謝の大切さを感じました。小さな日常に感謝する習慣が幸せの根本と感じました。ありがとう

ゲスト

加速する現代においてようやく、宗教が到達した教えを実感しやすくなったというのはなんとも皮肉ですね

いっぷくん

まず『幸せとは?』をロシアの権力の亡者プーチンとアメリカの金の亡者トランプに問うてみよ。民は『?』。そこで民を『笑い』で幸せにしてきたウクライナのゼレンスキーは民の味方。そうチャツプリンのような名コメディアン!その最大の武器であの二人を『世界の笑い者』にしてしまえば、『あなたは世界の英雄』に。この三人の劇場で今生きる一人一人に『幸せとは?』と『人類のこれから?』を問われているのです。「えらいこっちゃえらいこっちゃほなさいなら!」

ゲスト

「自己コントロール資源」なるものがあって、それが枯渇する

という仮定がよく分からない
もちろん日常的な感覚に落とし込んで納得することも出来るが
科学的な話ではない

    ゲスト

    まず幸せの定義を決めなきゃいけないし、言いたい事はなんとなく理解できるが、今の世の中=幸せって思考はやばくない?

    ないなぁ

    そもそも心理学は科学ではないので。
    (学問の中では、科学として認められていない)

    まさに、それ

からす

「意志力」の枯渇が幸せを目指すこと以外でどれくらい増えるかの比較も欲しいですね

ゲスト

眠れない時に眠ろうと必死になると全く眠れなくなるのに似てる

わかる

金儲けを目指すと儲からず
世のためひとのためを目指すと儲かる
みたいな感じね

ロゥレベル・バーチャルマキナ

力への意志なくして幸福もまたありえない。運命を愛せなくて幸せになることは難しい。

かん

「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ」バガヴァッド・ギーター第2章

ゲスト

結局研究が進めば進むほど宗教が提示する価値観が正しかったのだと反証?されていくのが面白い。
信じるものがある方が幸福、共同、友人、身近な人と関係、今あるもので幸せを感じる、マインドフルネス、瞑想。

科学は大分遠回りをしたが、ここから宗教にないような方法なども見つかると面白いのだが

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