海賊船に乗り、無人島に降り立つまで
アレキサンダー・セルカークは1676年、英国の最北端に位置するスコットランドのロウアー・ラルゴ村で、靴屋・製革業者の息子として生まれました。
セルカークはとにかく若い頃からケンカっ早く、粗野で乱暴な性格だったといいます。
そんな彼は1695年8月27日、19歳のときに、教会で無作法な態度を取ったかどで長老会議に呼ばれますが、そこには出頭せず、海に逃亡して船乗りとなりました。
セルカークが参加したのは南洋への海賊遠征であり、1703年にはイングランドの著名な海賊であるウィリアム・ダンピア(1651〜1715)の一味に加わっています。
ダンピアは世界周航を3回成し遂げた最初の人物として有名です。
ただセルカークはダンピアが船長をしていたセント・ジョージ号には乗り合わせず、その仲間であるシンク・ポーツ号の船長トーマス・ストラドリングのもとで航海長となりました。
ところが翌年の10月、ダンピアとストラドリングのいさかいが原因で、シンク・ポーツ号はセント・ジョージ号と袂を分かち、食料と水を補給するため、南米チリ沖に浮かぶ「ファン・フェルナンデス諸島」に停泊します。
ファン・フェルナンデス諸島は3つの無人島からなり、彼らが泊まったのはそのうちの一つでした。
この島は旧名を「マサティエラ島」といいましたが、チリ政府が観光客を呼び込むため、1996年に「ロビンソン・クルーソー島」と改名しています。
そしてセルカークの無人島生活をしたのが、このロビンソン・クルーソー島だったのです。
しかし、なぜセルカークはたった一人で無人島に取り残されることになったのでしょうか?