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history archeology

無人島で4年も遭難!ロビンソン・クルーソーの元ネタになった漂流者「セルカーク」 (3/3)

2024.08.18 Sunday

前ページたった一人のサバイバル生活が始まる!

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無人島生活が終わった日

1709年2月2日、セルカークのいた無人島に一隻の船が姿を現します。

それはウッズ・ロジャーズ(1679〜1732)という人物が船長を務める海賊船デューク号でした。

また偶然にもデューク号は、あのダンピアが率いる海賊一味の仲間だったのです。

ロジャーズの後日談によると、その前日、食糧調達のために島に近づいた折、岸辺に焚き火が燃えているのを発見し、「スペイン船が滞在しているのではないか」と懸念したといいます。

しかし乗組員を上陸させ確認させてみたところ、焚き火の主は4年前に島に取り残されたセルカークだったのです。

ロジャーズの日記には、発見時のセルカークの様子について「野性的な顔立ちで、ヤギの皮を着ていた」と記されています。

セルカーク(中央やや右)が救出された際の絵図
セルカーク(中央やや右)が救出された際の絵図 / Credit: commons.wikimedia.

ついにセルカークは救助され、4年4カ月におよぶ無人島生活が幕を閉じました。

彼はしばらくの間、ロジャーズの部下として船で働いた後、1717年に故郷のロウアー・ラルゴ村に帰っています。

しかし海が恋しくなったのか、村には数カ月ほどしか滞在せず、再び船乗りとなって、イングランドの港湾都市プリマスでの逗留中に、夫を亡くした宿屋の女主人と結婚しています。

その後、セルカークは王室船ウェイマス号に艦長補佐として乗船していましたが、1721年12月13日午後8時に亡くなりました。

死因は船上で蔓延していた黄熱病でした。

彼の亡骸はアフリカ西海岸の沖合で水葬に付されています。

こうしてセルカークの数奇な人生は終わりましたが、イギリスの小説家ダニエル・デフォーが彼をモデルにし、『ロビンソン・クルーソー』を生み出したと言われています。

ドイツの町に忽然と現れた謎の少年「カスパー・ハウザー」の数奇な人生!

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無人島で4年も遭難!ロビンソン・クルーソーの元ネタになった漂流者「セルカーク」 (3/3)のコメント

貝殻食べてて草

通りすがり

「貝殻なんかを食べながら」とありますが、貝ではなく貝殻を食べたとされているのでしょうか?
「意識不明の重体」とありますが、寝たきりが「丸一日」で済んだのであれば、「重体」は言い過ぎではないでしょうか?

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