無人島生活が終わった日
1709年2月2日、セルカークのいた無人島に一隻の船が姿を現します。
それはウッズ・ロジャーズ(1679〜1732)という人物が船長を務める海賊船デューク号でした。
また偶然にもデューク号は、あのダンピアが率いる海賊一味の仲間だったのです。
ロジャーズの後日談によると、その前日、食糧調達のために島に近づいた折、岸辺に焚き火が燃えているのを発見し、「スペイン船が滞在しているのではないか」と懸念したといいます。
しかし乗組員を上陸させ確認させてみたところ、焚き火の主は4年前に島に取り残されたセルカークだったのです。
ロジャーズの日記には、発見時のセルカークの様子について「野性的な顔立ちで、ヤギの皮を着ていた」と記されています。
ついにセルカークは救助され、4年4カ月におよぶ無人島生活が幕を閉じました。
彼はしばらくの間、ロジャーズの部下として船で働いた後、1717年に故郷のロウアー・ラルゴ村に帰っています。
しかし海が恋しくなったのか、村には数カ月ほどしか滞在せず、再び船乗りとなって、イングランドの港湾都市プリマスでの逗留中に、夫を亡くした宿屋の女主人と結婚しています。
その後、セルカークは王室船ウェイマス号に艦長補佐として乗船していましたが、1721年12月13日午後8時に亡くなりました。
死因は船上で蔓延していた黄熱病でした。
彼の亡骸はアフリカ西海岸の沖合で水葬に付されています。
こうしてセルカークの数奇な人生は終わりましたが、イギリスの小説家ダニエル・デフォーが彼をモデルにし、『ロビンソン・クルーソー』を生み出したと言われています。
貝殻食べてて草
「貝殻なんかを食べながら」とありますが、貝ではなく貝殻を食べたとされているのでしょうか?
「意識不明の重体」とありますが、寝たきりが「丸一日」で済んだのであれば、「重体」は言い過ぎではないでしょうか?