神に赦されると、人は謝らなくなる?
自分の犯した罪に対して、神に赦しを請うというのは、誰であっても多かれ少なかれ経験のあることでしょう。
特にキリスト教文化においては、「懺悔(ざんげ)」という行為がとても大きな意味を持っています。
カトリックでは、信者が神に対して自分の罪を認め、神の赦しを求めることが信仰生活の基本のひとつとなっており、神父の前で罪を告白する「告解(こっかい)」という儀式を通じて神の赦しを受けたと信じることができます。

プロテスタントでは必ずしも儀式はありませんが、個人の祈りの中で神に悔い改めを告白し、赦しを請うという文化があります。
このような「神に赦される」という経験は、多くの人にとって救いであり、心の平安をもたらします。
ただ、被害者がいるような問題の場合、神に赦されても、実際の人間関係において問題は解決していません。
そこで研究チームは、宗教的な赦しが人間関係の修復にどのように影響するのかに注目しました。
キリスト教文化圏では、「神に赦してもらった」という感覚が強く根づいており、それが行動にも影響を与えているのではないかと考えたのです。
まず行われたのは、435人を対象にした実験です。
参加者には、過去に誰かを傷つけたり怒らせたりして、そのまま明確に解決せずに終わった出来事を思い出してもらい、それに対して「神に赦された」とどの程度感じているかを自己評価してもらいました。
続いて、その出来事に関する自己の赦しの感覚や、被害者に対して謝りたいと思う気持ちの強さも測定。その後、実際に被害者に宛てた謝罪メールを書いてもらい、どの程度誠意がこもっているかを調べました(メールは実際には送信されません)。
結果は明確でした。
神に赦されたと強く感じている人ほど、謝罪への意欲が低くなる傾向があったのです。つまり、神の赦しが罪悪感を和らげた結果、「謝る必要はもうない」と感じる人が多かったのです。