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psychology

神に許されたと感じると、人は謝罪する可能性が減る

2025.03.24 22:00:36 Monday

映画などで、懺悔室に入って格子越しに神父に罪を告白する、そんなシーンを見ていて「神じゃなくて被害者に謝れよ」と思ってしまったことはないでしょうか?

こうした懺悔は、キリスト教文化では大きな意味を持つ行為ですが、キリスト教圏の人たちも同じような疑問を抱いていたようです。

米アラバマ大学バーミングハム校(University of Alabama at Birmingham)の研究チームは、「神に赦されたと感じることが、他者への謝罪意欲を低下させる可能性があるのではないか?」と考え、心理学的な調査を行いました。

その国が持つ宗教観は、その国の人々の道徳心と密接な関係があるため、こうした宗教文化の心理的な影響を調べるというのは非常に興味深い研究です。

この研究は、2025年2月付けで心理学の専門誌『Personality and Social Psychology Bulletin』に掲載されています。

Feeling forgiven by God can reduce the likelihood of apologizing, psychology study finds https://www.psypost.org/feeling-forgiven-by-god-can-reduce-the-likelihood-of-apologizing-psychology-study-finds/
Implications of Divine Forgiveness for Conciliatory Behavior: Understanding How Feeling Forgiven by God Influences Apologies Via Self-Forgiveness, Gratitude, and Humility https://doi.org/10.1177/01461672241312265

神に赦されると、人は謝らなくなる?

自分の犯した罪に対して、神に赦しを請うというのは、誰であっても多かれ少なかれ経験のあることでしょう。

特にキリスト教文化においては、「懺悔(ざんげ)」という行為がとても大きな意味を持っています。

カトリックでは、信者が神に対して自分の罪を認め、神の赦しを求めることが信仰生活の基本のひとつとなっており、神父の前で罪を告白する「告解(こっかい)」という儀式を通じて神の赦しを受けたと信じることができます。

告解室/Credit:canva

プロテスタントでは必ずしも儀式はありませんが、個人の祈りの中で神に悔い改めを告白し、赦しを請うという文化があります。

このような「神に赦される」という経験は、多くの人にとって救いであり、心の平安をもたらします

ただ、被害者がいるような問題の場合、神に赦されても、実際の人間関係において問題は解決していません

そこで研究チームは、宗教的な赦しが人間関係の修復にどのように影響するのかに注目しました。

キリスト教文化圏では、「神に赦してもらった」という感覚が強く根づいており、それが行動にも影響を与えているのではないかと考えたのです。

まず行われたのは、435人を対象にした実験です。

参加者には、過去に誰かを傷つけたり怒らせたりして、そのまま明確に解決せずに終わった出来事を思い出してもらい、それに対して「神に赦された」とどの程度感じているかを自己評価してもらいました。

続いて、その出来事に関する自己の赦しの感覚や、被害者に対して謝りたいと思う気持ちの強さも測定。その後、実際に被害者に宛てた謝罪メールを書いてもらい、どの程度誠意がこもっているかを調べました(メールは実際には送信されません)。

結果は明確でした。

神に赦されたと強く感じている人ほど、謝罪への意欲が低くなる傾向があったのです。つまり、神の赦しが罪悪感を和らげた結果、「謝る必要はもうない」と感じる人が多かったのです。

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