アズキの起源は日本にアリ
研究チームはまず核DNA(細胞の核にあるDNA)と葉緑体DNA(植物が光合成を行う器官で母親から受け継がれるDNA)の両方を解析しました。
その結果、核ゲノムについては従来の通説どおり「中国南部の栽培アズキが最も多様性が高い」ことが確認され、一見すると大陸起源説を裏付けるように見えました。
ところが、葉緑体のDNAを調べてみると驚きの事実が判明します。
なんと日本、中国、ネパール、ブータンなど アジア各地で調べた栽培アズキ の葉緑体DNAは、すべて日本産の野生アズキと同じ型であり、中国の野生種とは明確に異なっていたのです。
調査範囲の栽培アズキが例外なく日本の野生型の葉緑体を持つということは、栽培化されたアズキの母親(起源)が日本にあることを強力に示す証拠です。
では、なぜ核ゲノムでは中国起源のように見えたのでしょうか。
その謎を解くため、研究グループは核DNAの配列をさらに詳しく分析しました。
すると、中国の栽培アズキの遺伝的多様性が高い理由は、中国に渡ったアズキが現地の野生種と交雑(交配)していたためだと考えられることがわかりました。
すなわち、アズキは日本で野生種から栽培化(domestication)され、その後に中国へ伝わったものの、そこで中国の野生アズキと交雑して遺伝的に多様化したというシナリオです。
この一連の結果は、日本起源説を支持する近年の考古学的知見とも見事に合致し、長年の論争に決着をつけるものとなりました。
研究チームは「今回の成果は考古学の最新研究とも一致しており、詳細なゲノム解析で作物進化の謎を解き明かした好例です」とコメントしています。

さらに研究チームは、「アズキの栽培化がいつ頃始まったのか?」という疑問にも挑戦しました。
カギを握ったのはアズキの赤い種皮です。
野生のヤブツルアズキの種子は黒っぽい色をしていますが、私たちが食べている栽培アズキの種皮は鮮やかな赤色をしています。
実はこの種皮の赤い背景色はVaANR1、黒い斑点を消す働きは VaPAP1 という 二つの遺伝子が組み合わさって生まれます。
このダブル変異によって、現在の「均一に赤いアズキ」が完成したと分かりました。
ところが、この赤い種皮への変化は自然界では一長一短でした。
色素が変化したことで種皮の透水性(硬さや水の通しやすさ)にも影響が生じ、野生環境では発芽や生存に不利になる可能性があったのです。
それでも赤い豆が生き残った背景には、人間の存在がありました。
赤い種皮型は水を通しやすい傾向があり、発芽が揃いやすくなる可能性が示唆されています。
(※何より人間にとって見た目が魅力的だった点もあるでしょう)
こうした理由から、人々は好んで赤いアズキを選んで栽培し続けたと考えられます。
この仮説を裏付けるため、研究者たちは多数のアズキ試料のゲノムデータを使い、過去に遡って赤い種皮を持つ遺伝子(変異型ANR1)の頻度(割合)の変化を推定しました。
その結果、赤い種子を生む VaANR1 という変異は約1万3000年前(±5000年)から少しずつ増え始めており、約3000〜5000年前(縄文後期) に日本で本格的にアズキが作物として育てられるようになったことがわかりました。
(※アズキは1年草なので1万世代でおよそ1万年と換算できます)
つまり、初期の「弱い選抜」と後の「栽培化」は別の段階として考える必要があったのです。
実際、栽培アズキ集団における赤い種の割合はその頃から増加をスタートし、現代ではほとんどが赤いアズキになっています。
さらにこの結果は、縄文人たちの農業の歴史においても重要な意味があります。
日本で稲作が始まったのは今から約3000年前と考えられており、一方でアズキ栽培が3000~5000年前ということは、日本では稲作が始まるよりも以前からアズキ栽培が行われていた可能性が出てくるからです。
加えてサヤが自然にはじけにくくなる VaMYB26 変異も同時期に増加しており、収穫効率の向上に一役買ったと解析されています。
まさに日本の縄文時代に「赤い豆の奇跡」が起きていたといえるでしょう。