なぜカメが宇宙へ向かったのか?
1968年当時、宇宙開発競争――いわゆる「スペースレース」は熾烈を極めていました。
この激しいレースをしていたのは、アメリカとソ連です。
最初に主導権を握ったのはソ連でした。
1957年にソ連が世界初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げたことで、アメリカを始め、世界中が大きな衝撃を受けます。
さらにソ連は1961年に、ユーリイ・ガガーリンを乗せたボストーク1号の打ち上げにより、世界初となる有人宇宙飛行をも成功させました。

その後、両国は月面着陸という最終ゴールに向かって、莫大な予算と技術を投じて競い合うことになります。
しかし1960年代後半、ソ連の宇宙開発は資金難と内部の対立により、次第にアメリカに後れを取るようになっていました。
一方、NASA(アメリカ航空宇宙局)はサターンVロケットを完成させ、アポロ計画は有人試験飛行を目前に控えていました。
対するソ連は、月を周回するために必要な酸素・水・食料といった人間のための生命維持装置を搭載できるロケットをまだ持っていなかったのです。
このままでは、月周回のレースがアメリカに負けてしまいます。
そんな中で打ち出された“苦肉の策”が、「動物による月周回ミッション」でした。
ソ連は1968年9月14日、「ゾンド5号」と呼ばれる宇宙船を打ち上げ、2匹のリクガメを月周回の旅へと送り出したのです。
(ゾンド5号にはリクガメの他に、ショウジョウバエ、ミールワーム、植物の種子なども乗せられていましたが、実験の主軸となるのは脊椎動物のカメでした)

彼らは中央アジアの乾燥した草原地帯に生息する、丈夫で飢えにも強い生物。
加えて、動きが遅くて管理がしやすいという利点もありました。
出発に先立って、カメたちは9月2日から宇宙船に搭載され、出発まで一切の食料を与えられずに過ごしました。
科学者たちは、食物の消化活動が実験結果に影響を与えることを懸念していたのです。