1272年に暗殺された公爵――26ヵ所の傷でオーバーキルされていた
1272年に暗殺された公爵――26ヵ所の傷でオーバーキルされていた / Credit:Murder in cold blood? Forensic and bioarchaeological identification of the skeletal remains of Béla, Duke of Macsó (c. 1245–1272)
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1272年に暗殺された公爵――26ヵ所の傷でオーバーキルされていた

2025.11.21 21:00:45 Friday

ハンガリーのエトヴェシュ・ロラーンド大学(ELTE)を中心に行われた研究によって、1272年の中世ヨーロッパで実際に起きた衝撃的な暗殺事件の詳細が明らかになりました。

研究では、DNA解析から骨の傷の法医学調査まで複数の手法を駆使し、当時の暗殺事件の経緯を再構成しており、その結果、この遺骨の人物は複数方向から襲撃された計画的な暗殺に倒れたことが強く示唆されました。

さらに26ヵ所におよぶ顔面や背骨への過剰な損傷は犯行に強い怒りや憎悪が込められていたことを示唆しており、“オーバーキル”(過剰殺害)の様相さえ帯びていたことが研究チームによって指摘されています。

なぜこの若き公爵はここまで憎まれていたのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年10月26日に『Forensic Science International: Genetics』にて発表されました。

Murder in cold blood? https://www.eurekalert.org/news-releases/1104905
Murder in cold blood? Forensic and bioarchaeological identification of the skeletal remains of Béla, Duke of Macsó (c. 1245–1272) https://doi.org/10.1016/j.fsigen.2025.103381

中世の暗殺事件を解明すプロジェクトが始動

骨に残った傷跡
骨に残った傷跡 / Credit:Murder in cold blood? Forensic and bioarchaeological identification of the skeletal remains of Béla, Duke of Macsó (c. 1245–1272)

中世ヨーロッパで起きたある暗殺事件が、約750年の時を経て現代科学によってその実像がかなり明らかになりました。

舞台は1272年ハンガリー王国。

マチョー公ベーラという若い公爵が、政治的な対立を解決するための会合に招かれて訪れたとされる修道院で待ち伏せに遭い、何者かに惨殺されたのです。

歴史記録によれば、犯行を主導したのは当時権勢をふるっていた貴族ヘンリク・ケーセギ(Héder家)で、ベーラ公の遺体はバラバラに切り刻まれ、現場の修道院内に葬られたと伝えられています。

この伝説めいた暗殺事件は長らく謎のままでしたが、20世紀初頭に大きな手がかりが見つかります。

1915年、ブダペストのマーガレット島(当時「野兎の島」)にある13世紀のドミニコ会女子修道院跡を発掘中の考古学者がマチョー公ベーラのものと思われる遺骨を発見したのです。

ただ残念なことに、この骨は第二次世界大戦の混乱で所在不明になっていました。

ですが2018年、ブダペストのハンガリー自然史博物館の所蔵品棚から何のラベルもない木箱が見つかり、中にはあの修道院跡の胴体や手足の骨が収められていました。

一方、失われたと思われていた頭蓋骨も、エトヴェシュ・ロラーンド大学のコレクションにひっそり保管されていたことが判明します。

こうして“再発見”されたベーラ公らしき遺骨に対し、ハンガリーのエトヴェシュ・ロラーンド大学を中心に国際研究チームが結成されました。

人類学者・遺伝学者・考古学者・放射性炭素年代測定の専門家・安定同位体分析の専門家・歯学研究者など、幅広い分野の科学者たちが集結し、最新の科学捜査で遺骨の身元と死亡状況を可能な限り詳細に再現する試みが始まったのです。

次ページ中世の暗殺事件を科学が再現

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