逆さまだと「分かった」理由と「戻せない」理由
「上下逆さま」に気づいたのは、デュッセルドルフの美術館でモンドリアン展を準備していた学芸員、ズザンネ・マイヤー=ビュザー氏でした。
彼女は作品を見ているうちに、その時点で「下」とされている側で線が密集していることに違和感を覚えます。
さらに重要だったのが制作方法です。
こうした細い帯状の素材を使うなら、重力を利用して上から下へ配置したほうが自然です。
しかしテープの切れ端を見ると、現在の向きでは、まるで下から上にテープを伸ばしていったような状態になっていました。
彼女は「もしこの作品が上下逆さまなら、より自然だ」と感じ、調査を開始します。
そして決め手になったのは、1944年に公表されたモンドリアンのアトリエ写真でした。
そこには《New York City I》が現在とは反対向きに見える形でイーゼルに置かれており、逆さま展示説を裏づける重要な手がかりになりました。
では、なぜこんなことが起きたのでしょうか。
そこは今もはっきり分かっていません。
箱から出すときのミスだったのか、輸送中の扱いに問題があったのか、断言はできません。
ただ、作品に署名がなく、抽象画で上下を見分けにくかったことが、誤りを長く見逃させた大きな理由だったのは確かでしょう。
そして、この話をさらに興味深くしているのが、美術館が「正しい向き」に戻していないことです。
理由は単純で、戻すと作品を傷める危険があるからです。
作品に使われている接着性のある帯状素材はすでにかなり緩んでおり、今の向きで長年重力を受け続けてきました。
ここで180度回転させると、別の方向に力がかかって剥がれたり崩れたりするおそれがあるのです。
だから美術館は、誤っている可能性を認めつつも、そのまま展示を続ける判断をしました。
この出来事は、単なる展示ミスで終わる話ではありません。
私たちは、自分たちが目にする芸術作品を正しく理解できているか問うべきなのかもしれません。
本当に作者が意図した姿なのか、それとも長い歴史のなかで変化した姿なのか、その理解が数十年も間違っていることさえあるのです。





































![BLACK WOLVES SAGA -Weiβ und Schwarz- for Nintendo Switch 【メーカー特典あり】 [予約特典]スリーブケース](https://m.media-amazon.com/images/I/51CzLR9fW3L._SL500_.jpg)









見た人が正しいと思うものが正しいのが表現の世界だと思いますから逆さまで違和感を覚えなかったのならそれが正解でしょう。
表現の世界って科学や宗教とは違うので、正解なんてものは最初からないですし、再現性も求められてません。
体の内側で起きてる爆発を外に出せているならそれでいいのですよ。
記事読んだ?違和感覚えたから発覚したんだが
おれは昔からこういう芸術の良さが分からんのだが、実は人々も分かっていないのかもしれんな
買い付けた人が間違って展示されてることに気付かない、その程度の価値ってことなのかな
マウントおじさん
作品のためにも、もういっそ寝かせて展示したほうがいいかも。
ピカピカの朱塗りの方鳳凰堂より、漆の剥げた状態の方が良かったと感じたり、煤けたフレスコ画の方が芸術的と感じたり。
製作者の意図と違う状態でも、初めて触れたときの感銘こそアートなのでは?
猫の絵描いたのに「この犬可愛い!」って騒がれたら嫌やろ。
日本的解決法として展示フロアの一角に、(天橋立のように)股のぞききポイントを設置したです。
ジョークで「画家が自分の絵にサインする目的は・・」の実証的証明がまた一例つみあがったのですね
多くの学芸員でさえ理解されない作品。作者はそれも狙ってたとか。こういう作品は理解なんて求めてないんだろうな
「正しい向き」に展示しなおした方が良いと思います。もしそれで帯が剥がれたり崩れたりしたら、復元作業で張り直せば済む話なのでは?
そもそもその作家も上下決めてたのかな?
写真でたまたまその向きだったとかは?
モンドリアンの新造形主義は「徹底した秩序と普遍性」の追求でした。彼はグリッドの太さや色の配置をミリ単位で計算しており、彼にとって「上下」は宇宙のバランスを表現する厳格なルールでした。
「理解されなくていい」どころか、彼は自分の理論を世界に正しく伝えるために膨大な執筆活動も行っていました。今回のミスは作者の意図ではなく、管理側の過失に集約される問題です。
確かに鑑賞者の主観は自由ですが、学術的には「作品の真正性(オーセンティシティ)」が重視されます。
音楽でいえば、楽譜の上下を逆にして演奏して「いい曲だ」と感じる人がいても、それは「作曲家の作品」を聴いたことにはなりません。また、学芸員が違和感に気づいたことはその証拠の一つだと言えるかと思います。
気づけなかったのは、作品が「未完成(署名がない)」であり、かつ「あまりに時代を先取りしたミニマリズム」だったため、人間の脳が「どちらでも成立してしまうほど完璧な構成」と誤認したからです。これは価値の低さではなく、むしろ構成の強固さを示す皮肉なエピソードと言えます。
>彼は自分の理論を世界に正しく伝えるために膨大な執筆活動も行っていました。
という事なら、「《New York City I》が何十年にも亘って逆さまに展示されている事に誰も気付かなかったのは何故なのか?」という疑問が生じるのですが…
ご指摘はもっともで、むしろ重要なポイントだと思います。
ただ、この件は「理論が執筆にも関わらず学芸員を含め伝わっていなかった」というより、いくつかの要因が重なった結果と考えられます。
まず、問題になっている New York City I は、一般的なモンドリアン作品と違い「黒線ではなくテープ」で構成されており、かつ署名もなく上下の明確な手がかりが乏しい特殊な作品です。
さらに重要なのは、ピエト・モンドリアン の理論自体は厳密でも、それを「展示現場で常に正確に再現できるか」は別問題だという点です。
彼の理論はテキストとしては残っていますが、同作を含むすべての個別作品について「どちらが上か」を明示した資料やマニュアルがあるわけではありません。
そしてもう一つ大きいのは、人間の認知の問題です。この作品は構成が極めて均質で、上下どちらでも視覚的に成立してしまうため、「違和感が生じにくい」=専門家であっても長期間疑問を持たなかった、という側面があります。
つまりこれは
「理論が執筆により共有されていなかった」ではなく、
・作品の特殊性(テープ/未完成/署名なし)
・記録の不完全さ
・人間の認知バイアス
が重なって起きた事例と見るのが妥当だと思います。
もちろんだからと言って許容されるべきものでは無く、モンドリアンというビッグネームの大作が見過ごされてきた事実を含め深く考えていかなければいけない事例であることには間違いありません。
>ピエト・モンドリアン の理論自体は厳密でも、それを「展示現場で常に正確に再現できるか」は別問題
で、彼の執筆が作品の上下を知るための役には立たず、尚且つ
>「どちらが上か」を明示した資料やマニュアルがあるわけではありません。
>この作品は構成が極めて均質で、上下どちらでも視覚的に成立してしまう
という事であれば、どちらを上に展示するのかは偶然に頼る他ないという事になりますから、
>管理側の過失に集約される問題
とは言えないのではないでしょうか?
つまり、この作品が上下逆さまに展示されていたのは単なる偶然の結果であり、誰が悪いわけではないという事です。
もし、“強いて”責任の所在を挙げるとすれば、上下の判別困難な作品を制作しておきながら、署名という上下方向を知るための根拠となる目印を記さずに未完成の状態で放置したピエト・モンドリアンの過失という事になるのではないかと思います。
鳥居強右衛門の話かと思ったやついる?
赤と黄色の線が下に偏ってるので何か重たげな感じではあるし、たしかにテープのちぎり跡が上の方見えてるな
なんかモヤモヤする