割れないはずの光を、切るということ

世の中のものは、どこまでも細かく分けていけそうに思えます。ケーキを半分に、その半分をまた半分に。包丁さえあれば、いくらでも続けられそうです。
けれど、ものをどんどん細かくしていくと、最後には「これ以上は分けられない」という、究極のつぶにたどりつきます。それが素粒子です。自然界をかたちづくる、いちばん基本の部品。それ以上は、どんな刃物を使っても割れません。
たとえば、原子の中心にある陽子。これは3つのクォークというつぶからできています。けれど、そのクォークを取り出してさらに半分に、というわけにはいきません。クォークは、もうそれ以上は分けられない。これが素粒子です。
そして、光のつぶ——光子も、この素粒子の仲間です。つまり光のつぶは、原理からして「半分に割る」ことができないのです。
ここで、ひとつ引っかかります。
「割れないなら、そもそも切りようがないのでは?」
もっともな疑問です。ふつう「切る」といえば、1個のものを刃物で2つに割ること。割れないものを切る、というのは、言葉からして矛盾しているように聞こえます。
ところが、ここで光ならではの不思議な性質が効いてきます。
私たちはつい、光のつぶを、空中にぽつんと浮かぶ小さなビー玉のように思い描いてしまいます。けれど、実際はそうではありません。
量子の世界では、光は「つぶ」であると同時に、「波」でもあります。波だということは、一点にぎゅっと固まってはいない、ということです。
水面に立った波が、ひとところにとどまらず、すうっと横に伸びていくのを思い浮かべてください。
光のつぶも、あんなふうに空間へうっすらと広がった、細長い帯として、光の速さで流れているのです。
帯ならば、その全部を真っ二つにしなくても、流れていく途中で「一部分だけ」を狙うことができそうです。
たとえば、帯が通り過ぎるところに、すばやくオン・オフを切り替えられる鏡——いわば光のシャッター——を置く。
すると、帯のうち鏡に当たった一部分だけが、はね返されます。
つぶを真っ二つに割るのではありません。
広がった帯の一部に鏡を当て、そこだけを断つ——そういうイメージです。
割れないはずのものでも、こうすれば「一部を切り取る」ことができるはずです。
では、帯の一部をさえぎったら、残りはどうなるのでしょうか。


















































