光子は「切ろう」とすると無限に増える――でも外からは1個に見えた
光子は「切ろう」とすると無限に増える――でも外からは1個に見えた / Credit:Canva
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光子は「切ろう」とすると無限に増える――でも外からは1個に見えた (4/4)

2026.06.01 19:30:32 Monday

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なぜ「無限個」なのか——―狭く閉じ込めるほど、つぶは増える

なぜ、無限個などというとんでもない数が出てきたのか。

じつは先に見た「複雑さは切れ目の外へはみ出していなかった」という事実が、そのまま大きなヒントになっています。

量子の世界には、こんな法則があります。「を、これほど狭い範囲にきっちり閉じ込めようとすると、その代償として、関わってくる光の”数の成分”が、必ずふくれあがってしまう」というのです。

「閉じ込めること」と「数がふくらむこと」が、どうして関係するのでしょうか。一見すると、まったく無関係な2つの話に思えます。

ここで思い出してほしいのは、「光は波である」ということです。そして、波には1つ、面白い性質があります。

ここから先がストンと垂直に途切れるような、くっきりと角ばった、鋭い形をつくるのは、とても難しいのです。

ファミコンのピコピコ音などは角がカクカクな波が使われています
ファミコンのピコピコ音などは角がカクカクな波が使われています / Credit:Canva

音で考えてみましょう。

きれいな単音——サイン波と呼ばれる、いちばん素直な波——は、なめらかに上下するだけで、どこにも「角」がありません。

フルートのやわらかな音を思い浮かべてください。あれが、角のない波のイメージです。

では、角がカクカクした波——四角い形をした波——は、どんな音でしょうか。

じつは、これに心当たりのある方は多いはずです。

ファミコンの、あの「ピコピコ」と鳴るゲーム音楽、あのとがった電子音の正体が、まさに四角い波(矩形波)なのです。

やわらかなフルートと、とがったピコピコ音。この音色の違いこそ、波の形の違い、そのものなのです。

では、あのカクカクした波は、どうやって作られているのでしょうか。

単音を1つ鳴らすだけでは、まったく足りず、高さの違う音を、何種類も何種類も重ね合わせる必要があります。

そして、角を鋭くすればするほど、より高い音を、際限なく足し続けなければなりません。

そして完全に垂直な断ち切りの波をつくろうとすれば、それこそ無限の種類の音を重ねなければならない、というわけです。

光の波でも、これと似たことが起こります。

「ここでピタッと途切れて、向こう側は完全にゼロ」という鋭い断ち切りをつくるには、波長の違う波を、無限の種類だけ重ね合わせなければなりません。(※厳密には「波長成分の数」と「つぶの数」はイコールではないのですが、イメージとしてはこの理解で十分です)

「光を切ったら無限にふくらんだ」という、あれほど奇妙に見えた結果は、決して異常事態ではありませんでした。

光を狭い範囲にぴったり閉じ込める——それはつまり、波を究極までカクカクにし、真空を限界まで強くかき混ぜるということ。

ならば、量子の法則からして、関わる光の成分が無限にふくらむのは、最初から分かりきっていたことだったのです。

驚きの現象が、ふたを開けてみれば、法則どおりの当然の帰結だった。

ものごとを「ここでスパッと」と完全に断ち切ろうとすると、その代償として、際限のない複雑さを呼び込んでしまう。

きれいな境界線は、ただではすまないのです。ここに、この研究の静かな美しさがあります。

さて、ここまでは、鏡を一瞬で「パッ」と取り去った、いわば極限の場合の話でした。

最後に、もう少し現実に近い場合も、見ておきましょう。

じつのところ、平均すると見込まれる光子の数が本当に無限大に発散するのは、鏡を一瞬で取り去った、この理想的な極限のときだけです。

鏡を一瞬ではなく、ゆっくりとした有限の速さで切り替えると、期待される光子の数は無限大ではなく、ちゃんと有限の数におさまります。

そしてこのとき、切れ目は、厚みゼロの一本の線ではなくなります。

鏡を動かす時間に応じて、ある程度の幅を持つようになります。

すると帯は、3つの層に分かれます。

片側の領域、真ん中の切れ目の領域、そして反対側の領域。点だった切れ目が、目に見える帯へと育つわけです。

それでも、切れ目をはさんだ両側を見れば、結果は変わりません。

片側はほぼ1個、反対側はほぼ真空のまま。込み入った事情は、あくまで真ん中の切れ目のなかにとどまっていて、その外側にまでは染み出していきません。

だから両側は、いつ見ても、1個と真空のままに見えるのです。

もっとも、今回の研究は理論計算によるものです。

鏡で光を切る、というこのシナリオを実際に確かめるのは、これからの課題ということになるでしょう。

けれどこの理論から得られるものは少なくありません。

私たちは、世界をきっぱり切り分けられると思っています。

ここまでが光で、ここから先は何もない。

そんなふうに、ものごとには、はっきりした境目があるはずだと。

けれど、割れないはずの光を、ほんとうに切ろうとした瞬間、その切れ目には、無限の複雑さが押し寄せていました。

それでいて、ほんの少し離れて眺めれば、世界は何ごともなかったかのように、「光が1個、あとは空っぽ」という顔をしている。

正体は、無限のつぶがざわめく怪物なのに、こちらが見ている窓の中では、涼しい顔で「ただのつぶ1個ですよ」と単純なふりをしてみせるわけです。

量子の世界では「恐ろしく複雑なものが、まったく単純なものに見せかけることができる」とは、ブラウンスタイン氏の言葉です。

私たちがふだん「単純だ」「当たり前だ」と思って眺めている世界の風景は、ほんとうに単純なのでしょうか。それとも——本当は途方もなく入り組んでいるのに、私たちがいつも、限られた窓からのぞいているだけ、なのでしょうか。

この発想は今後、つぶ1個だけでなく、複数のつぶや、電子のような別の粒子を考えるときの手がかりにもなりそうです。

光のつぶが見せてくれたこの不思議が、ほかの粒でも顔を出すのか——それは、これからの研究が確かめていくことになります。

光は、切ろうとすると、無限に増える。けれど、外側から見れば、何も増えていないように見えた。

——世界は案外、そういう涼しい顔で、私たちのすぐ隣にいるのです。

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