路上のセミファイナルでは何が起きているのか

道ばたや玄関先に、仰向けになったセミが落ちていることがあります。
もう死んでいるのだろうと思って横を通ろうとした瞬間、突然ジジジジッと翅を鳴らして暴れ出す。
あの小さな爆発に、思わず身を引いた経験を持つ人は少なくないはずです。
近年では、こうした状態のセミが「セミファイナル」と呼ばれることがあります。
言葉だけを見ると、どこか冗談めいています。
けれど、そこにあるのは、セミが死を演じている滑稽な場面ではありません。
むしろ、成虫生活の終わりに近づいた体が、まだわずかに残った力で外界に反応している姿です。
大阪市立自然史博物館の初宿成彦さんは、地面に転がって動かなかったセミが突然飛び上がる理由について、死期が迫って体力が失われ、弱って動けなくなっていたところに人が近づいたため、防衛本能が働いて「逃げよう」とする反応が起きたものだと説明しています。
木の幹にとまっている元気なセミでも、人が近づけば飛び去ります。
路上のセミでも、反応の向きそのものは同じです。
ただ、体のほうがもう十分についてこないのです。
ひっくり返ったセミが生きているかどうかを見分ける目安として、脚の開き具合がよく挙げられます。
脚が外側に開いていれば、まだ生きている可能性が高く、脚が腹側に縮こまり固まったようになっていれば、死んでいる可能性が高い傾向にあるようです。
初宿さんも、公園を歩いて調べた経験から、この見分け方で「ざっくり」と判別できるように思った、と述べています。
しかし、そもそもなぜセミは、死の間際に仰向けになるのでしょうか。
実はこれは、昆虫の死に際を考えるうえでも興味深い現象です。
ショウジョウバエを扱った研究レビューでは、多くのハエが横向きまたは仰向けで死ぬこと、神経系の不調が不規則な運動や転倒をもたらし、倒れたあとに起き上がれなくなることが、死の過程の一部として記されています。
ハエで見られた現象をセミとそのまま同一視することはまだできませんが、路上で仰向けになったセミを、単に「死んだふりをしている虫」と見るより、脚、筋肉、神経、水分の均衡を失いつつある昆虫の身体として見るほうが、はるかに実態に近いでしょう。
ただし、現代の都市に住む人々にとっては、もう一つ見落とせない要素があります。
それはアスファルトです。
私たちがセミファイナルに遭遇するのは、多くの場合、森の中ではありません。
歩道、玄関先、駐車場、マンションの廊下、駅へ向かう道です。
そこは硬く、平らで、乾いています。
アスファルトやコンクリートの上でひっくり返ると、セミは余計に起き上がりにくくなります。
自然の地面には土の盛り上がりや落ち葉があり、弱ったセミでも脚を引っかけて体を起こせる場合がありますが、都市の平面にはそれがありません。
私たちが目にするセミの最期は、都市によって強調された死に際の風景とも言えるでしょう。
人間はそこを通りかかり、「死んでいる」と思って油断します。
そして、セミの体にまだ残っていた防衛反応が、突然、羽音として爆ぜるのです。
七日説が古くからの文献や文化の中でセミの命を短く見せたのだとすれば、都市のアスファルトは、セミの終わりを——そしてセミファイナルという瞬間を——私たちの目に見えるものにした要素だと言えます。
しかし、セミの寿命を決めているものは、脚や筋肉だけではありません。
地面に落ちるはるか前から、セミの体は、植物の液と、体内に住む小さな生命に支えられていたのです。






























