進化の軌跡は現代日本人にも引き継がれている
そしてこの物語は、2万年前で終わりません。
現代日本人は、縄文人と、のちに大陸から渡ってきた人々との混血の子孫です。
つまり氷河期仕様の遺伝子の一部は、いまを生きる私たちの体にも受け継がれています。
ただ危機の時代を乗り切るための変異は、現代において問題にもなり得ます。
近年の研究では、縄文人由来の遺伝的要素を多く受け継ぐ人ほど、肥満になりやすい傾向が報告されているのです。
脂肪を効率よくため込み、熱として無駄なく使う能力は、寒さと食料難が続く氷河期には命綱だったと考えられます。
ところが暖房と飽食に囲まれた現代では、同じ能力が余分な脂肪をため込むリスクへと姿を変えてしまうのです。
飢餓の時代に有利だった「倹約型」の体質が、豊かな時代にはあだになるという「倹約遺伝子仮説」と重なる構図です。
もっとも、研究チームは慎重な姿勢も崩していません。
2万年前の人々の食生活や環境は現代とあまりに異なるため、当時の体の働きを復元する解釈には推測が残ると述べています。
それでも研究チームは、縄文人ゲノムが日本人のルーツを知る資料であるだけでなく、氷期を生きた人類の進化と適応を封じ込めた「ゲノムのアーカイブ」であり、現代人の体質や健康を考える手がかりにもなると述べています。
もし周りの人が寒がっているなかで、自分だけが妙にポカポカしているなら、縄文人から受け継がれた、耐寒能力が一役買っているのかもしれません。
コラム:ホモ・サピエンスと日本

現在の本州・四国・九州にあたる古本州島に、ホモ・サピエンスが現れたのは約3万8000年前です。
ところが今回、縄文人の祖先が大陸の東ユーラシア人から分かれた時期は、約2万7000~1万9000年前と推定されました。最初の人類到来から、少なくとも約1万年後です。
では、最初に列島へ来た人々と、縄文人の祖先はどうつながるのでしょうか。
旧石器時代人のゲノムがまだ得られていないため、直接の答えはありません。ただ今回の結果は、縄文人が、大陸集団から分かれて日本列島へ定着した後期旧石器時代人の子孫であることを支持しています。
ここで重要なのは、寒さへの適応が列島内で突然始まったわけではないことです。
FTO、UCP1、FADS2などの変異は、縄文人だけでなく、南方系のアンダマン諸島人でも高い頻度を示しました。縄文人の祖先は、まだ暖かい地域にいたころから、エネルギーを蓄え、効率よく使うための「持ち込み装備」を備えていた可能性があります。
その子孫の一部が東アジアを北上し、氷河期の寒さに直面しました。
すると今度は、脂肪の利用に関わるAPOA5や、寒さの感覚に関わるTRPM8の変異が、比較した集団の中では縄文人だけで高頻度になっていました。APOA5では、氷期中に変異の頻度が急速に上昇したことを示す痕跡も見つかっています。
つまり縄文人の寒冷適応は、南方時代からの「持ち込み装備」に、北上後の「寒冷地仕様」が加わった二段構えだったのです。
ただし、この上積みがどこで起きたのかまでは分かりません。
縄文系統が大陸集団から分かれ、列島へ定着した時期と寒冷適応が強まった時期は重なっています。しかし、氷期当時のゲノムがないため、大陸を北上する途中だったのか、列島へ入った後だったのかを切り分けることはできません。
現在のところは、「東アジアを北上し、日本列島とその周辺へ定着する過程で適応が積み重なった」と考えるのが妥当でしょう。
さらに北海道では、別の歴史も見えてきました。北海道縄文人は、本州以南の縄文人から約1万~8800年前に分かれたと推定されています。
氷期後に本州由来の縄文人が北上し、北海道の旧石器人を置き換えた可能性が高いのです。研究チームは、ほとんど遺伝的な痕跡を残さなかった先住集団を「ゴースト集団」と呼びます。
「縄文人」とひとくくりに呼ばれる人々も、1万年という時間と列島の広がりのなかで、実際にははるかに多様な顔ぶれだったのかもしれません。
列島各地の旧石器人からDNAが得られれば、最初の列島人と縄文人のつながりだけでなく、人類が寒さへの装備をいつ、どこで磨き上げたのかも見えてくるはずです。


































